粗忽庵日記(高原のテラスで十二ヶ月)

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zoom RSS In the war the poor die. 金持ちが始める。(8)

<<   作成日時 : 2017/05/13 23:38   >>

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記憶がどういうふうに肉体の中に埋蔵されているのか、ということを時々感じるのでありまして、つまり全く関係のない時に昔の記憶の断片が脳裏に浮かんだりするのであります。この一文を書く間にも、「記憶」ということばで触発された場面と、「記憶の断片」という表現で浮かんできた場面が違うのでありまして、こうして書いている間にそれぞれの風景は消えてしまいまして、あえてつなぎとめようとしなければ、手から離れた風船のようにあっけなく遠ざかるのでありま画像す。これを書いている今、実はヘッドホンでラジオの番組を聞いているのでありますが、そちらからの刺激によっても違う映像が浮かびます。もちろん、いつ頃のどんな映像なのか分かるんですが、さてどうしてそういう映像が浮かぶのか、やっぱり謎であります。

イモカタバミの可憐な花。

面白いのは、その映像を見ているポジションでありまして、どうも当時の自分の視点ではないのでありまして、ちょっと上空からの俯瞰図に近いのでありまして、自分が見たのとは明らかに違っていて、高い位置からの物なのであります。ちょっとがんばって先ほど浮かんだ三つの映像を再現してみると、一つ目は田舎の駄菓子屋さんの周辺でありまして、ただ浮かんだ最初は駄菓子屋をイメージしませんでした。手前のバス停で道が枝分かれし、山へ向かう道が坂になるところでありまして、きれいな新緑の風景であります。実際は、崖の下に駄菓子屋があって、その周辺は暗いはずですが、浮かんだ風景はきれいな緑に溢れ、駄菓子屋は消えているのであります。二つ目は、有名なメーカーの牧場でありまして、そこにちょっと好きだった女の子が住んでいたというあたり。ただ、浮かんだ風景は人間のいない景色であります。三つめは大学のキャンパス。噴水のあったあたりであります。

   さて、それらがなぜ浮かんだのか、ちっとも分からない。

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