Dinner is ready !  来ぬ人を 待つ塩鮭の 夕餉かな(粗忽)(2)

画像やっぱり、花びらの桃色が抜けまして、朝になると純白になってしまうようであります。次に開こうとしている花びらが、赤みを帯びてきまして、夕方の開花に備えている感じであります。開花する前後の少しの時間だけ桃色になると言うのは、どういうメカニズムなのでありましょう。世の中に初めてお目見えする時に、ほんのり恥じらいまして、しばらくすると平常心を取り戻すということなのでありましょうか。

クレオメ(Cleome)、またはセイヨウフウチョウソウ(西洋風蝶草)。

それから、日中は花びらが縮むのですが、これが夕刻には復活いたします。もちろん、最初に咲いた花びらはすでに散り落ちておりまして、葉っぱの上に載っているんですが、これは白く広がった花びらでありまして、どうも普通の花の様子とは違っているのであります。花束にして誰かに差し上げるのには非常に無理がありますが、栽培して夏の一日を観察と鑑賞に費やすにはなかなか良いのではないでしょうか。

    
     「鳩三郎」というお菓子をご存じでありましょうか、八幡太郎義家、源九郎義経にあやかるとか。

画像さきほど、写真撮影を終えたあとで、「鳩三郎」をいただきましたが、いつも通りのざくざくした食べ始めの食感とバターの風味、やがてほどよい甘さとともに溶けまして、大変おいしゅうございました。鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りのお土産でございまして、箱に10枚入った豊島屋のお菓子であります。

なあんだ、それは「鳩サブレー」じゃないのか。

と叱られそうですが、中に入っていた「鳩のつぶやき」という栞というか、ご挨拶というか、流麗な文章によって、このお菓子を「鳩三郎」と呼んでも構わないことが分かりました。豊島屋三代目の方が、鳩サブレーの来歴を詳しく綴っておりまして、近代史の中に「鳩サブレー」を位置づけることさえ可能なのであります。ぼんぼり祭りというお祭りを、外出嫌い出不精の私は馴染みがありませんので、調べてみると、立秋の頃の楽しそうなお祭りなんだそうでありまして、なんと本日は実朝祭が催されているそうなのであります。源実朝公は、建久3年(1192)8月9日の巳の刻、源頼朝の次男として鎌倉名越の北条時政の屋敷・浜御所で、北条政子のお腹から生まれたんだそうでありまして、それを祝して、昭和17年から行われているそうです。戦時中の忙しい時でありますから、微妙な時期に始まった行事でもありますね。

    世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも(『百人一首』第93番・鎌倉右大臣)

まるで、鶴岡八幡宮の実朝祭と示し合わせたようなブログの成り行きですが、これはまったくたまたまなのであります。ただ、偶然と思われることも、遠目には必然に見えることもありますし、物事には巡り合わせというものがあるだろうと思います。この歌は、第九代の勅撰和歌集である『新勅撰集』の巻八・羈旅の真ん中あたり、525番として出てきまして、「題しらず」とあるのです。『新勅撰集』の撰者は、もちろん藤原定家その人でありまして、貞永元年(1232)に命が下って、文暦二年(1235)3月12日に完成を見るわけですが、宇都宮頼綱に依頼された色紙形を執筆して贈ったのが二ヶ月後の5月27日なのであります。源実朝は、もちろん藤原定家の指導を仰いだことがあるわけで、『新勅撰集』に二十五首採用してますから、これは愛弟子扱いであります。何のはばかりもなく、いっぱい入れたということなのであります。この歌を、実感に即して読んだ名歌だという評価がありますが、ひっくり返るほど驚きました。これは、ちぐはぐな本歌取りの歌ではないのか?と思うんですが、不思議です。

   河の上に ゆつ岩群に 草むさず 常にもがもな 常おとめにて(『万葉集』巻一・22番・吹黄刀自)
   みちのくは いづくはあれど 塩釜の 浦漕ぐ舟の 綱手かなしも(『古今集』巻二十・1088・東歌)
    
万葉集の巻頭に近い歌の「常にもがもな」という願望表現をそのまま使っておりますが、元の歌が伊勢の斎宮に同行した人の歌のようでありますから、職務の完遂を願った歌であります。それを目に留めて、無常の世を嘆いて「世の中が永遠だといいなあ」と願っているんであります。本歌取りには至らない、古めかしい表現の再利用でありまして、鎌倉の将軍家のお坊ちゃんが『万葉集』を愛読して自分の歌にいろんな語句を取り込むというのは、京都から見たら驚きでありましょう。そのセンスが、気に入られていたかも知れません。あとの方は、これは本歌でいいと思います。上の句の「東北はどこもいいけど、特に塩釜がね……」という、お国自慢の部分をカットして、歌の焦点である綱手を抜き取ったんですね。船体に付属している綱手に対して「かなし」と愛着しているところを生かしたわけですが、ここが私には分かりません。他の人も分かんないと思うんですが、みなさんこの歌を誉めるのでありますが、それもよく分かりません。分かりませんが、適当に誉めているだけのようです。

   この歌を、無常観が籠められているとか、感傷的と言うが、むしろ逆であります。躍動感と健康美。

船を漕げない時に、陸上というか浜辺から船を引っ張るのが綱手のようなんですが、そうすると「漕ぐ」という動詞とかみ合わないのであります。だから、「漕ぐ」という動作は「綱手を引っ張って船を進める」という意味に取る以外に、解決策はないのでありますね。だとしたら、海人たちが、ものすごい力で船を引っ張って、ぐいぐいと動かしているんであります。それを「かなしも」というのは、諸注釈の言う通り、「悲しも」ではなくて、「愛しも」でありまして、いとおしい、じーんと来るという気持ちを表しているんです。さて、だとするとこの歌は、とんでもない反転をするんでありまして、やっぱり時代の風に乗っているというか、藤原定家さんのお弟子さんなんであります。さあさあ、お立ち会い、鎌倉の三代将軍、あの右大臣様が、お若いのに見事な詠みっぷりであります。「かなしも」というのは片桐洋一さんが『古今和歌集全評釈』で指摘の通り、「妹(いも)」へのいとおしさを表す言葉何であります。そうすると「世の中」というのは、世間の他に「夫婦愛」を指しまして、船の綱手を漕いでいる海人というのは、たくましい力自慢の夫のことでありまして、綱手の付いた船に「妻」が載っているんではないでしょうか。夫唱婦随、夫婦で船に乗って、金華山沖で助かった老夫婦の話を以前ご報告したではありませんか。あんなふうであります。

    だから、船は一隻・二隻じゃありません。塩釜ですからね、天然の良港に船はいっぱい浮かびます。

この歌の背景には、漁を終えて塩釜に帰港しようとするあまたの船の光景を描いた本歌がありまして、まさしく景気のいい大漁で沸く好景気の港が設定されているのであります。それを読み切った実朝公は、それを夫婦円満・夫唱婦随のニュアンスで、世の中こうでなくちゃ、と詠んで見せたのであります。東北だから、うら寂れた港町、一隻ばかりの船、などと思い込んでいるから、東北随一の良港の賑わいを見落とすのであります。見事大手柄。すっきり分かってしまいました。すなわち、実朝の歌には、わんさといる漁師の夫婦を寿ぐニュアンスが込められていて、とても健全、どちらのお二人さんも、いつまでも幸せにね、見てるこっちもじーんときたよ、と言っているのでありますし、本歌も景気のいい塩釜港の様子なのであります。初心者の歌ですから、京都の貴族が思いもしない素材をおおらかに、すこやかに詠んじゃったんですね。だから、へんちくりんに見えたとも言えましょう。この時代の貴族の歌の上品さからすると、ちょっと下品なくらい元気がいい。蛇足ですが、塩釜を含めた被災地の港が、大津波から復興して、以前にもましてのすばらしい港に復活することを心から、陰ながら、切に祈っておりますよ。

    み吉野の 山の秋風 さ夜更けて 古里寒く 衣打つなり(『百人一首』第94番・参議雅経)

作者は、飛鳥井雅経とも言うんですが、藤原氏でありまして、『新古今集』の撰者の一人でもあります。鎌倉幕府までしょっちゅう出かけていた人で、フットワークが軽かったようであります。蹴鞠の飛鳥井家の祖でありまして、後鳥羽院と蹴鞠を蹴っていた人のはずであります。今だったら、お公家さんのサッカーチームのミッドフィルダーなどというポジションで活躍していたはずであります。藤原定家の息子の為家さんが、新人でフォワードを務めていたんじゃないかと思います。キーパーは後鳥羽院でありますね。紅い手袋を付けまして、手のひらを味方に振りかざして仁王立ちする姿が浮かびます。冗談はさておき、鴨長明を源実朝公に紹介したのもこの人、飛鳥井雅経ではなかったでしょうか。乱世を生き抜いた、たくましい人物なのです。要領がいい人で、本歌取りもうまいんですが、人の歌をいいなあと思うと、同時代人の歌でもかまわず本歌取りしてしまう人だったそうです。もちろん、この歌も本歌取りの歌でありまして、私はこの歌わりと好きであります。和歌って、こうでなくちゃ、というような軽さであります。切れ味もあるんですね。

    み吉野の 衣打つ音 小夜の風(粗忽)
      飽きても寒く しない約束(粗忽)

        

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