Dinner is ready !  来ぬ人を 待つ塩鮭の 夕餉かな(粗忽)(4)

画像早朝の庭のクレオメであります。昨日の夜は、めでたい紅白の花弁を撮影したのですが、やっぱり真っ白になっていまして、不思議なのであります。世の中にクレオメに興味がある人がどれくらいいるのか分かりませんが、ひょっとすると愛好家の団体があるのかも知れません。インターネットをいくら検索しても、ろくな情報がないのでありますが、ふと気が向いて、職場の本棚を見ましたら、隅っこに『平凡社大百科事典』がありましたので、まさか載ってはいないだろうと思いながら開いてみると、おおお、ありました。

浅山英一さんの署名記事であります。

「クレオメ」で掲載ですが、「セイヨウフウチョウソウ」を引くと「クレオメ」に案内されます。それにしてもこの記事は、かゆいところに手が届くすぐれものでありまして、筆者は千葉大学園芸学部の花卉園芸学研究室の先生でありまして、平成12年(2000)4月7日に86歳でお亡くなりになっていますから、大正3年(1914)くらいにお生まれの方ですが、千葉大になる以前からそちらにお勤めであることがわかりました。NHKなどにも出演なさっていたと言いますから、それと意識せずにお顔を拝見したことがあるのかも知れません。ともかく、花弁はやっぱり4枚ですが、葉っぱに棘と粘毛があるそうで、長いのはおしべなんてことが分かりましたし、開花初日にピンクで翌日色褪せるのは、改良種の特徴だそうです。切り花には向かないとか、大きな花壇に集団で植えると見栄えするなんて、ありがたいことが書いてありまして、よく分かってお書きになっているぞと思う次第です

    花穂全体が二色に見えるものは、Pink Queen。そうでないものは、White Queenと称するそうです。

画像柑橘系の枝に、青い実が付きまして、どうやら秋には、この樹木が何なのか分かりそうであります。つい先日白い花が咲き終えたなあと見ておりましたが、花の咲いたあたりに枝や葉っぱと同じ濃い緑色の直径5㎜くらいの粒が出来ております。すでに1㎝に達しようかというのもありまして、行く末が楽しみになって参りました。サツキの間の通路を塞ぐように生えておりましたので、去年の秋の終わりに、スコップで掘りまして垣根のそばに移植いたしましたが、枝が伸び、花が咲き、ついに実を付けたと言うことなのであります。

去年は花も咲かず、実もなりませんでした。

芽を出してから二年目以上ですが、大きさから言えば、去年はせいぜい50㎝くらいですから、一昨年の秋以降ヒヨドリなどが持ち込んだ種が発芽し、今年になって実を付けたと言うことなのでしょう。だとすれば、18年掛かるとか9年掛かると言われているユズではなくて、やはりキンカンなのかも知れません。昨年の年末に、お隣さんからはユズを一かごもらいまして大感激、さめやらぬうちに向かい隣さんから枝付きのキンカンをいただきまして、新年の飾りといたしました。そうしたささやかなご親切というものが、身にしみてうれしく感じるものであります。

    おほけなく 憂き世の民に おほふかな 我が立つ杣に 墨染めの袖
                                   (『百人一首』第95番・前大僧正慈円)

三句切れの歌であります。句切れがあるということは、実は歌が倒置法によってひっくり返っていることが多いわけで、そのために解釈が難しくなるのであります。何遍も繰り返し口ずさんでいるうちに、倒置が元通りになって、主旨が見えたりいたします。つまり、「墨染めの袖(を)おほけなく憂き世の民におほふかな」となりまして、生意気にも衆生を救済しようとするのだ、というような決意でありまして、お坊さんとしての決意を表明しているのであります。「おほけなく」という言葉は、語源も不明でありまして、現在は使わないのでありますが、「身の程知らずに生意気にも」という意味であることは、なんとなく認めていいでしょう。そうでないと、この歌はバランスを欠いてしまいます。問題は、「杣」でありまして、これは材木をとる山「杣山(そまやま)」の事なんですが、じつは「我が立つ杣」というのは、比叡山に根本中堂を建てた伝教大師の次の歌によって、比叡山を指すのだそうであります。僧侶の人材育成所たらんことを比喩したのでありましょうか。五句目の所に掛詞があるために、四句目五句目は、「我が立つ杣に住み初め」となり、「比叡山に住み始めて以来」という意味が隠れていまして、ようやく全体が分かりました。

      比叡山中堂建立の時    伝教大師
    阿耨多羅 三藐三菩提の 仏たち 我が立つ杣に 冥加あらせたまへ(『新古今和歌集』釈教・1920)
    あのくたら・さんみゃく・さんぼだいの ほとけたち わがたつそまに みやうがあらせたまへ

慈円という人は、慈鎮和尚ともいいますけれども、なかなか人徳のあった人物でありまして、『徒然草』の226段に登場いたしますが、兼好法師の伝える『平家物語』の成立に関わる有名な話なんですけれども、これを慈円を軸にして考えるとちょっと違って見えるような気がします。どんな話か。後鳥羽院の時代に、学問が出来ると評判の信濃の前司行長は、御前で『白氏文集』を論じた時にヘマをしまして、それが原因で学問を捨てて遁世したのだそうです。慈鎮和尚は、一芸ある者を好んだので、この行長を食客にして手厚くもてなしましたが、この人物が作って、盲目の生仏という人に語らせたのが『平家物語』でありまして、だから『平家物語』は比叡山のことがめちゃめちゃ詳しく、登場人物の情報量に偏りがあるとまで兼好法師は指摘しております。だとしたら、『平家物語』というのは、慈円の膝元で温めたものと言っていいわけなのでありますね。どうもこの和尚さんは、これだけではなくて、いろんなことに手を貸していた名プロデューサーのようなのです。だったら、『百人一首』の歌の格調の高さというものは、すんなり理解できます。

    花誘ふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり(『百人一首』第96番・入道前太政大臣)

太政大臣でありますから、めちゃめちゃえらい人であります。この地位は大相国とも呼びますけれども、平清盛がそう呼ばれていたことをご存じの方もいるでしょう。こちらの太政大臣は、藤原公経という方で、承久の乱後に太政大臣に命じられているのであります。西園寺家というんですが、鎌倉幕府よりのお公家さんでありまして、京都側の代表であったわけです。えらい人なんですが、実はこの人のお姉さんが、藤原定家さんの奥様でありますから、なんと藤原定家さんは太政大臣の義兄に当たる人なのであります。義弟が歌がうまくて、『百人一首』に選んでも恥ずかしくない歌人なんですが、それが太政大臣なら胸が張れますね。今なら、義弟だよって紹介して出てきたのが、石川遼くんだったり、松井秀喜さんだったり、コービー・ブライアントだったりするという感じでありましょう。その場合、こちらも青木功さんだったり、長嶋茂雄さんだったり、マイケル・ジョーダンだったりしないと、もちろん釣り合いは取れません。ため息が出ますね。歌は、非常にいい感じでありまして、初老に入った人なら、今後の愛唱歌はこれでありましょう。前半の落花の光景もゴージャスですし、後半の老境のつぶやきもさまになります。

   花の雪 降り行く庭の 嵐かな(粗忽)
     我が身の老いを 誘いがてらに(粗忽)    

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