Dinner is ready !  来ぬ人を 待つ塩鮭の 夕餉かな(粗忽)(8)

画像新たに花開いたセイヨウフウチョウソウでありますが、せっかくの薄紅色の花弁がピンぼけしてしまいました。ただ、これ幸いと掲示いたしました。セイヨウフウチョウソウを取り囲んで咲いている青紫の花は、ヒソップまたはヒソップパープルでありまして、咲き始めてからもう二ヶ月くらい、ずっと咲いていまして、なかなか強力なハーブであるとわかりました。

シソ科のヤナギハッカ(柳薄荷)、学名はHyssopus officinalis。

お茶にするもよし、料理に使うもよし、お風呂にも入れられる、なかなか使いでのあるハーブのようでありまして、さて放射能の影響はありやなしや、効能の高いハーブほど、ひょっとすると放射能を吸収していないとも限りませんから、残念ながら今年は見送ることにいたします。今年は、紫蘇が大繁殖しまして、紫色のチリメンジソ、青じそがいたるところに生えておりまして、写真の中にも写っております。

  ヒソップパープルに取り囲まれている、セイヨウフウチョウソウであります。桃色の花弁がまもなく開花。

画像ヒソップパープルは苗で買い求めて、虫除けという謳い文句を信じて、家庭菜園の端っこに植えたわけでありますが、かたまって繁茂している様子は頼もしい限りなのであります。白い花弁と薄紅色の花弁が蝶々のように見えるのが、クレオメでありまして、別名がセイヨウフウチョウソウなのであります。ハーブの類も人気と流行があるはずでありまして、ヒソップは盛んに販売されていますが、クレオメは幻の植物扱いであります。

ついこの間まで名前も知らない植物に囲まれ。

こうして考えてみると、植生分布の違うところに成長したんですが、冷涼な気候の土地ですから、ひょっとすると植物の種類も乏しかったのかも知れません。ただし、この何年かの猛暑によって、各地の気温に変化が生じているなら、関東が北限だった植物が北に進出することもあるのでしょう。それにしても、扇風機すら必要のなかった涼しい夏という物を、なつかしく思いだしてしまいますね。たとえば、いま時分は夏の終わりでありまして、盆踊りが終わればもう夜は寒いくらいだったのであります。

    人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は(『百人一首』第99番・後鳥羽院)

この歌は、出典が『続後撰集』雑中巻の巻軸歌(末尾の歌)でありまして、1202番に入っているのであります。次の順徳院の歌も同様で、藤原為家さんが撰者となった『続後撰集』から採用されていることから、ひょっとして為家さんが『百人一首』を撰んだという邪推も出来るわけです。為家さんというのは、最初の奥さんが宇都宮頼綱という鎌倉幕府のえらい方のお嬢さんでありまして、晩年に阿仏尼さんと同棲事件を起こしているんであります。頼綱の依頼で定家さんが作ったのが『百人秀歌』である可能性は高く、それをマイナーチェンジして作ったのが『百人一首』である場合、入れ替えた歌が『続後撰集』にあるということが問題になるわけです。一般には、『新勅撰集』を定家さんが作った時に、幕府の目を恐れて、後鳥羽院や順徳院の歌をやむなく除いた結果、除かれた歌を『続後撰集』に入れたのではないかと推定して、本来『新勅撰集』に入っていたはずだと考えるわけです。

   『百人一首』の歌が、すべて勅撰集にあるものという限定の意味するところが大事なんでありますね。

ある程度、公的な場で披露することを前提にしているということなんでしょうか。天皇の下命で撰ぶ勅撰集の権威を披露するとか、和歌の歴史をある程度公的な水準で作ってみようというような意図があったと言うことなのかもしれませんが、だとすればかえってそうした歴史の終焉を予感していたということでもあります。ところで、この歌の解釈に関して、非常に疑問を感じる点があります。この歌は、初句切れ、二句切れでありまして、その上倒置法でありますから、えいやっとひっくり返さないといけないわけです。ひょっとして「あぢきなく」できれる、三句切れかもしれないという疑惑を提示しておきたいと思います。なぜなら、帝王が「世を思ふ」「物思ふ」ことが、つまらないことだとは言えないでありましょうから、この「あじきなく」は「人もをし。人も恨めし。」というところに、倒置で掛かるのではないかと思うのです。だって、この時代は『万葉集』の頃ではありませんので、「五七・五七・七」のリズムではなく、「五七五・七七」のリズムでありましょう。そう言うことも見落としている諸注釈という物を「いかにせん」と思うわけです。仮に二句切れだとしてもかまいませんから、そこでの倒置とみなして検討して見ます。

    あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ 身は人もをし 人も恨めし(粗忽)    

「身は」のところを、四句目にずらしてみると、まんまと「五七五七七」の歌になりまして、ちゃんと和歌の形式には則すわけですが、こうしてみると、「あじきなく」の懸かりどころが、「世を思ふ」でも「物思ふ」でもなく、一番末尾の対句表現である「人もをし 人も恨めし」であると主張しても良さそうであります。諸説の中には、二つの「人」が別物であるというような「とんでも解釈」まであるんですが、そうではなくて、この人というのは、常識で考えれば自分以外の他人のことであり、治天の君に対する臣下並びに人民を包括する可能性が高いでしょう。それを言い換えれば、世の中と言うことであります。対句に示されているのは、人(臣下・人民)をいとおしんだり恨んだり、相反する複雑な感情を抱いてしまうと言ってるんですから、こうした不安定な心情を、後鳥羽院自身が「あぢきなく」感じているはずなのです。「うれしくも~」とか「いみじくも~」という例を考えてみれば分かるように、「あぢきなく」というのが、最も末尾の部分に響いていく副詞的用法のはずなのに、それを無視しているのは、倒置に対する理解の甘さが生み出していると見ていいでしょう。やりましたね、この年まで考えなかった歌ですから、虚心坦懐に大手柄を挙げたようです。「世の中を思う故に、悩む我が身は、つまらなくも周囲を慈しんだり、恨めしく思ったり、揺れてしまう事よ、ああ情けない」というような、まさしく帝王ぶりの述懐なのであります。もう一度言いますが、「世を思ふ」ことが「あぢきなし」というのはたぶん駄目ですね。帝王は「世を思ふ」のがお仕事です。ここは、「世をあぢきなく思ふ」というような構文ではないはずです。

    ももしきや 古き軒端の 忍ぶにも なほ余りある 昔なりけり(『百人一首』第100番・順徳院)

この方は、仁治三年(1242)に崩御されたのであります。佐渡院とも言いまして、後鳥羽院が隠岐に流されたように、こちらは佐渡に流されて現地で亡くなられたそうです。実は、藤原定家さんはその前年、仁治二年(1241)に亡くなっておりますが。何の根拠もなく思うのですが、『百人一首』を贈るのにふさわしいのは、この順徳院という『百人一首』の最後を飾る帝王ではないのか、という気がいたします。前にどこかで、左近の桜を藤原定家さんが伐りに行く話がありまして、その時許したのが順徳院でありまして、そういう点では巡り合わせのよい二人でありますから、この方にプレゼントするなら、『百人一首』の構成はふさわしいでありましょう。それ以外にもらって喜ぶ人の顔が浮かばないのであります。いや、顔はもともと浮かばないので、喜ぶ人の名前が浮かばないと言い直しておきたいと思います。『百人一首』をもらって喜ぶのは、順徳院ただお一人のはずであります。

    ももひきや 古き軒端に 干しあまる(粗忽)
     人目を忍ぶ 翁なりけり(粗忽)  
    

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