Dinner is ready !  来ぬ人を 待つ塩鮭の 夕餉かな(粗忽)(9)

画像広い庭と言ってみたところで、都会の個人住宅でありますから、当然大したことはないわけです。そのほとんどを、ツツジ・サツキ・ドウダンツツジ・イヌツゲ・マツ・アオキなどが占領しておりまして、これに生垣になっているキンモクセイの巨木数本でありますから、毎日書くことがあるとも思えないわけです。サルスベリとクレオメで10日も20日も書くというのも、何だか尋常ではないわけで、よくまあ続くなあと自分でもあきれるわけですね。

雑草に黄色い花が咲き、よく見ると昆虫と爬虫類。

写真をクリックすると別のウィンドウで巨大化しますが、さらにクリックすると拡大いたします。撮影したのは雑草なんですが、点検したらバッタが写っておりまして、さらに雑草の下にカナヘビまたはヤモリの姿も見えているわけです。近眼に老眼の私にはそんな物が見えるわけもなく、たまたまでありますが、何だかピントが合って、ちゃんとした写真のようであります。高原にある実家の庭というのは、私の父親が適当に集めた樹木などを植えたものですから、しっちゃかめっちゃかですが、珍しい花があり、ブドウがあり、栗の木・柿の木、さらにブルーベリーにキウイといった卒業記念の記念樹などが入り乱れております。ご本人は、この十年は菊の栽培に打ち込みまして、大輪の花が咲いた時には、おだてにおだて天に昇らんばかりにほめあげて、二三鉢もらってきて、以前の住居であったマンションのドアの前に飾ったものであります。

   玄関先に菊の大輪がありますと、訪問者の態度が変わります。あだや疎かにはしないぞといううやうやしさ。

画像福島第一原発の敷地内に入ったことがあるなどと言うと大層なことのようですが、いまから10年も前のことですから、どうってことはありません。地震か津波の後で爆発を起こし大破した所ではなくて、手前にある教育用のセンターの展示を見てきたわけです。松林の中に作られた施設でありまして、駐車場も完備されておりました。当時の県知事、佐藤栄佐久氏が原子力発電所に疑問を呈してもめていた時期でありまして、たまたまその近くに出向いた際に、菊老人に誘われて同伴しただけであります。

放射能が本当に漏れていたらどうするの?

というような会話は当然いたしました。今回のようなことが起きなくても、いずれは何かをしでかしたはずでありまして、たとえ老朽化するまで、発電をまっとうしたとしても、そのあとの安全な処理・解体のめどは立っていなかったはずであります。出たとこ勝負、科学技術の進歩を期待していたとしか思われませんが、どうやら事情はあまり変わっていないのでありましょう。写真は、セミの抜け殻なんでありますが、南方系の植物の葉っぱにつかまりまして脱皮したようでありますが、しがみついたまま風に揺れております。この植物の名前は不明であります。花が咲き実がなりましたが、花の形状が説明しにくい物でありましたから、正体不明であります。

    人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は(『百人一首』第99番・後鳥羽院)

画像どうやら『百人一首』の末尾三首については、その歌人の人名表記が問題のようです。藤原家隆が従二位になったのが、文暦二年(1235)9月10日のことでありまして、これが嘉禎元年と改められます。嘉禎三年(1237)4月9日に家隆さんは従二位のまま亡くなりますけれども、この家隆さんが従二位の間に、『百人一首』が成立したという可能性が指摘されております。それ以前だと、三位でなければならないし、故人であったなら配列がもう少し前でないといけないようなのです。

宮内庁書陵部堯孝筆『百人一首』(笠間書院刊)より。

ただし、そうなると問題なのが、後鳥羽院・順徳院という天皇の諡号でありまして、後鳥羽院と決定したのは仁治三年(1242)、順徳院の方が決定したは建長元年(1249)ですから、このそれぞれの諡号を藤原定家さんは知るよしもないわけです。なぜなら、仁治二年(1241)8月20日に亡くなっているわけでありまして、誰かが死後に歌人名表記を二人の上皇に関しては改めたということなのであります。ともかくすっきりしない問題が残ると言うことだけは指摘されております。

    「惜し(愛し)」「恨めし」「世」「物思ふ」とつながると、当然恋の歌の匂いが立ち籠めます。

「世」とか「世の中」というのは、恋愛関係とか夫婦関係とか、二人の間柄を指しますので、これはまったく恋の歌として解することも出来まして、やはりもみもみとした謎かけのような歌でもあるのであります。これを仮に贈答歌の歌で有ると考えると、「人」というのは二人称で「あなた・汝」ということでありまして、恋人のあなたをいとしいと思ったり冷淡だと思ったり、落ち着かない心理が表現されています。だとしたら、これは恋愛心理としては、相当熱の入った状態でありまして、「世をあぢきなく思ふ」どころか、二人の関係を深く強く感じているわけで、添い遂げられるかどうか物思いは尽きないのでありましょう。その結果、相手の何気ない言葉、ちょっとした態度に心が揺れますから、ころころと変わる自分の感情を持ってあまして、「あぢきなく」も「人もをし。人もうらめし。」と思うはずなのです。三句切れかも知れないと考えないと、この歌の解釈はぼやけてしまうんですが、さて、従来の注釈はどうなっているのでありましょう?二人の関係を「あぢきなく思ふ」なら、もはや悩む必要はなく、相手のことを何とも思わないということになるでしょう。ご飯をちゃんと食べて考えていたんでしょうか?

    ももしきや 古き軒端の 忍ぶにも なほ余りある 昔なりけり(『百人一首』第100番・順徳院)

「ももしき」というのが、皇居を指すというのが、なかなか難しいのであります。初句の末尾の「や」というのは、「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」などという歌が思う浮かびますが、「や」の前後が緊密に結びついていたりするのであります。「ももしきの古き軒端の忍ぶ」が、「昔」の実景として浮かぶような仕掛けなんですけれども、当然「忍ぶ」が、シダ植物の「シノブ」と、過去を追憶する「忍ぶ」の掛詞となって、歌の主旨は懐旧にかられた述懐ということなのであります。「忍ぶにもなほ余りある昔」というのは、いくら思いを寄せても足りないくらいの感慨深い過去ということで、実は何をそんなに思っているのか、はっきりしないのであります。よって、上の句の表現を生かして、昔の御代、古代の聖主の時代という解釈に至るようです。順徳院の家集によれば、弱冠二十歳の時の作品であると井上宗雄先生が指摘してますが、だとすればこの帝王は帝王教育を受ける中で、中国の下降史観を勉強なさったと言うことで、先人は高くそびえ、後代の者はなかなか及ばないというような発想が表現されていると言うことでしょう。

    とりあえず『百人一首』100首全部、それと『百人秀歌』から捨てられた4首、合計104首読みました。

まだまだ言い足りないこともあるのでありますが、とりあえず俳句・川柳にしたものも、下の句を付けまして、それなりに遊んで参りました。和歌だけ取り上げたら、とてもとても続かないはずでありますが、俳句にしてみたり、川柳にしたり、自分の分からないところ、足りないところを、むしろ取り柄にしまして古典中の古典である『百人一首』をいじり回してみたら、案外面白い物であります。最後の順徳院の歌も、これを恋の歌に見なすことは出来るわけでありまして、「忍ぶ」は思いを寄せるでも人目を避けるでも、恋の情調をかもします。二人の昔は、余りあるほど幸福な日々だったねえと、過ぎ去った恋を慈しむんでありますね。それから、「余り」は「軒端」の縁語だよって、角川文庫の谷知子さんが指摘してまして、おそらく「軒端の忍ぶ」は、軒先から余っているように見えますから、これはそういう修辞がちゃんと入っているようです。

    さて、『百人一首』を読み通してみての感想は、なるほどなかなかいいという微温的な気分であります。

たぶん、世間の大方の方は、名作しか読んだことが無いのであります。やはりこれは名歌揃いの秀歌撰でありますから、ホテルのバイキングのような物なんであります。どれもおいしいのでありますが、やはり、ローストビーフとカニと、スイーツが人気というような具合でありまして、実は平凡なエビチリも、コンソメスープも普通よりはずっとおいしいのであります。下手な古歌を我慢して読むような経験は、普通はありませんから、結局『百人一首』のなかでの好き嫌い、うまい下手を論じてしまいそうであります。少なくとも、絶対に秀歌とは認められないというような歌はありませんでした。昔、藤原定家さんの若い時の歌を輪読かなんかしましたときには、解釈の途方に暮れるようなおかしな歌ばかりで、何が言いたいのかさっぱり分からないものがたくさんあったのであります。それに比べたら、実に充実しておりまして、たしかにこれらの歌がとりあえず名歌であると言えるでしょう。

    百人の ふるき昔の 歌見ても なほ余力ある 我が身なりけり(粗忽)

大手柄と自慢した中で、やっぱり違うかなあと反省しているのは、西行さんの「かこち顔なる我が涙かな」であります。これはやっぱり、昔のままでいいんではないか、と思ったりしているんですが、いやいや待てよ、他にどんな証拠の歌があろうとも、涙が顔を持っているというのは無理ではないか、などと揺れているのであります。ということは、他のは本当に大手柄かも知れませんね。お勉強で困って検索している人がたまにいるんでありますが、今はまだ役に立ちませんよと言いたいのであります。30年、50年したら、あるいは定説になったりすると面白いことでありますね。もちろん、これもあれもすべて妄想であります。松尾芭蕉さんの俳句に導かれて、長い長い旅でありました。  

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