Are you all right ?   我が袖は 乾く間もなし 潮干狩り(粗忽)(5)

画像庭の雑草の中に、前から気になっているものがありまして、葉っぱがものすごく格好いいのであります。それが先日からつぼみを付けまして、いつ開花するのか、どういう花なのか、何という植物なのか、気になっていたのであります。何本かは抜いてしまいましたが、昨日の大粛正では対象外、つまり抜かれずに今日を迎えたのであります。その名は、西洋風蝶草(セイヨウフウチョウソウ)、学名はCleome hasslerianaとか、どうして我が家に根付いたのでありましょう?

今日は七夕でありますが、夕立のあと曇り。

旧暦の七月七日でありますから、いわゆる七夕でありまして、仙台の七夕は今日からスタートするわけです。仙台の七夕を見に行ったことがありますが、あの街はきれいに整備されたアーケード街がどこまでも続いていまして、その通りを巨大な七夕飾りが埋め尽くしまして、たいへんな見物であります。何事も比較というものはつまらないものですが、東京の市街地というのは道路がまっすぐではありませんので、仙台出身の方は東京の街並みをどう思われるのでしょうか。今年の七夕は、またひとしおの思いがあることでしょう。

   七夕や じらしじらされ 恋の味(粗忽)
    逢瀬はかなく 明くる夜かな(粗忽)

画像今年初めて出会った珍しい花はこれであります。「軽井沢絵本の森美術館」の奥のエントランスに咲いておりましたが、見たこともない不思議な花でありまして、巨大なネコジャラシ、ピンクのコップを洗うブラシという風情でありますが、近ごろは植物の検索のサイトが幾つもありまして、これが唐糸草(カライトソウ)というものであることが分かりました。バラ科の植物で、ワレモコウ属ということでありまして、ワレモコウなら耳にしたことは何度もありますが、実際のワレモコウについては馴染みがないのであります。

詳しくは、http://www.hana300.com/karait.html
(検索サイト)

学名は、Sanguisorba hakusanensisなんですが、これは「ワレモコウ 白山の」ということで、石川県の白山を意味しているそうです。毎日毎日、我が家の庭を観察しておりましたら、外出先の珍しい花には釘付けでありまして、面白いことこの上ないのでありますね。高校生の時に生物部で部長を務めましたが、別にその方面に興味関心があったわけではなく、生物部というのは、要するに単なる帰宅部の隠れ蓑でありまして、文化祭の展示用に植物調査を簡単にした程度であります。だから、植物の知識は皆無に近いのでありますが、周囲はそうは思いません。東北大の農学部を受験しなさいなどと勧められたのに、それとはまったく関係のない人文系ばかり受験しまして、周囲があきれていたのを思い出しました。今思うと身を寄せた文学部などというのは、困った学部でありますね。それでも、何とかやってこれましたのは、欲張りでない性格と、そこそこ健康な体のお陰でありまして、両親にはちょっぴり感謝しております。

    我が袖は 潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし(『百人一首』第92番・二条院讃岐)

沖の石というものが一般名詞なのか、それともどこかの地名ないしは固有名詞なのか、という問題がありました。陸奥にあるという説と、若狭説とが対立しますが、まあ仮に陸奥だとすれば、殷富門院大輔の「雄島」(90番歌)も二条院讃岐の「沖の石」も、ともに松島あたりと言うことになりまして、宮城県の塩釜・多賀城付近というのは歌枕がたくさんあるのであります。大和朝廷は陸奥を征夷大将軍坂上田村麻呂によって征服させましたが、貞観地震の大津波で痛手を受けまして、ひょっとしてそのことが陸奥の歌枕に対する平安貴族の嗜好の原因になったのかも知れません。国家運営の難しさ、大規模災害に対する対処の困難、そういった課題を突き付けられ、日本列島程度の広さでも、古代の政府にとっては統治が思ったより難しかったのかも知れません。私の師匠は、その昔沖の石を仙台近郊で見たと何かの文章に書いておりましたが、さて今回その沖の石はどうなったのでありましょうか。「寄石恋」という題詠ですけれども、この四句目の「人」というのは、恋の相手を指す二人称でなければ意味を成さないことでしょう。「あなたは気付かないが」と訳すことで、一首が濡れた袖の存在を匂わす恋の告白の歌になるわけです。恋の涙を袖で拭うというのは、平安時代の基本でありましょう。

    夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき(『百人秀歌』第53番・一条院皇后宮)

ええ、こんな歌あったっけ?と思った方は、『百人一首』をそらんじている立派な方でありまして、これはよく見ていただくと分かる通り、『百人秀歌』という藤原定家の秀歌撰の一つにある歌であります。この『百人秀歌』という秀歌撰は、101人の101首から出来ておりまして、その97首が『百人一首』と共通しているというものであります。どうやら、藤原定家が宇都宮頼綱という武士から依頼されて制作したものは、この『百人秀歌』のようでありまして、このことは『明月記』という藤原定家の日記と照合しても確実でありまして、これが先に出来ておりましたが、あとで4首を除き、3首を加えてできたのが『百人一首』なのであります。除かれたのは、一条院皇后宮・権中納言国信・源俊頼朝臣そして権中納言長方の歌でありますが、あとで加えたのは源俊頼朝臣・後鳥羽院・順徳院の歌であります。つまり、源俊頼に関しては歌を差し替えただけですが、天皇を二人加えるために除かれてしまった歌人が三人いたということなのであります。一条院皇后宮というのは、藤原定子さまのことでありまして、実は『百人一首』には皇后の歌というか天皇の后妃の歌がありませんから、あったら大変な名誉であったわけです。ここから、四首ほど、『百人一首』に落選した歌を紹介してみようという趣向であります。

    亡きあとも 涙の色は くれなゐに(粗忽)
      我をひねもす 惜しむこともがな(粗忽)

    

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