Are you all right ?   我が袖は 乾く間もなし 潮干狩り(粗忽)(6)

画像不思議なことがあるものです。昨日ピンクであった花びらが、脱色して白い色に変じているではありませんか。西洋風蝶草(セイヨウフウチョウソウ)、学名はCleome hasslerianaというらしいのですが、検索して見るとクレオメ(Cleome)と出てきたりいたします。つぼみが堅いうちは白色の紡錘形なのでありますが、花が開く直前のつぼみが桃色になりまして、昨日の午後にピンクの花びらを四枚ひらひらさせたのです。

桃色と言いますかピンクと言いますか、なごみの色。

なごみますよね。茎は直立していまして、葉っぱはイロハカエデのような形状ですが、緑の手のひらサイズでありまして、どんなごつい花が咲くのかと思いきや、蓮の花のミニチュアサイズ、楕円形の花びらが四枚、それも妙な並び方をしまして、おしべだかめしべがひょろひょろと出ておりまして、まるで蝶々なのであります。外側のつぼみが先に開きますが、中央付近にはまだ白くて小さいつぼみが順番待ちをしておりますから、これから順次咲く予定のようであります。夜中に脱色してしまうというのはいかなる事なのでありましょうか。咲く前後だけ、きれいな桃色ピンクになると言うのは、自然のようなずるいような、ともかく不思議なことがあるものです。

   もしやと思って、雑草をそのままにしておいたのが功を奏しました。伸ばし放題も時にはいいものです。

画像去年は実は、草むしり担当が他にいましたので、知らない間に庭の雑草をわんさと抜いていたのだそうです。ですから、おそらくホオズキも、スミレも、シソも、雑草と一緒に抜き去られていまして、何も知らない私は、余計なものの生えないきれいな庭だなあ、などと一人悦に入っていたのであります。放射能が舞い降りると聞いて、草むしり担当は一人になりましたので、それでどうもこの庭にはまだまだ秘密があることが分かったのであります。第一、観葉植物のように庭のあちこちに点在している草が、あとで花開きましたので、だとすれば他にもなにか素敵なものが隠れているはずだと考えたのが良かったのであります。

写真は、サルスベリ。夏を彩る桃色の花であります。

去年の猛暑によって、庭をいじる楽しみも雲散霧消いたしました。かんかん照りの日射しのせいで、地面はひび割れし、リュウノヒゲは茶色く焼けてしまい、家庭菜園のピーマンやナスはしおれてしまい、唯一トマトだけが頑張りましたが、それもやがて枯れまして、がっかりすることおびただしいのであります。それに比べると、今年の夏は焦って出した梅雨明け宣言が空振りまして、七月後半は梅雨空に後戻り、ここ連日雷と夕立が降りまして、ようやく梅雨が明けたのでしょう。五月中旬から八月初旬まで梅雨が続きまして、梅雨の中休みが異常に暑くて長かったということのようではありませんか。まるで、菅直人総理大臣のような梅雨でありまして、これはじめじめはしていましたが、実は恵みの雨だったのかも知れませんね。

    必要は発明の母と言うではありませんか、次なるエネルギー源を求めて若者の奮起を期待します。

総理大臣に脱原発、すなわち原子力発電の中止を宣言されてしまうと、とても困る人がたくさんいると言うことが分かりました。第二次世界大戦の時に、日本も核開発を考えていたわけで、タッチの差で敗れたという感じもあるわけですから、この方面の技術開発を急務として国策が展開してきたのでありましょう。原子力船むつなどというものも一時は時代の花形だったんであります。しかし、原子力発電所の事故で30キロメートル以内が立ち入り禁止となれば、国民はとんでもないものが僻地に作られていたことを知りましたから、ここで選挙を打てば、歯切れ良く原発反対を唱える候補者が続出しまして、訳ありの現議員が落選することは間違いないわけですね。なんとかして、穏やかに原発維持を唱える、口のうまい人を総理大臣に据えたいと思うんでありましょう。そんな、ババつかみを平気で出来る人がいるのかどうか、そこのところが不明瞭でありますね。何事も簡単ではないわけで、いろんな側面を持つものであります。「もろ刃の剣」という言葉がありまして、原子力発電もそれだったのでありますね。10年前にあの施設に近付きました時の、警備警戒のすごさというものは、それはそれは大したものでありまして、一緒の年寄りは何事かを察知しまして、ふんと鼻を鳴らしておりましたね。大丈夫なのかね?とね。

    夜もすがら 契りしことを 忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき(『百人秀歌』第53番・一条院皇后宮)

『枕草子』に出て来る中宮定子さまというのが、この一条院皇后宮であります。学校で習いますと、『枕草子』というのは上品な優雅なお姫様のお話として習ってしまうんですが、多分そうではなくて、この方は当時最先端のウィットをもって会話をしていた人でありまして、駄洒落とか冗談が大好きだったのであります。それを表現する形容詞が「をかし」でありまして、この単語は「面白おかしい・愉快・楽しい」ということのはずであります。一条天皇のもとに参りましたのが永祚二年(990)のことでありまして、亡くなったのが長保二年(1000)のことでありますが、約11年に及ぶ結婚生活は、前半が幸福でありますが、後半は不幸の極みでありました。父の中関白道隆の死、兄弟の伊周・隆家の失脚、母の高階貴子(『百人一首』第54番歌の儀同三司母)の病没、いいことは何もなかったかも知れません。三番目の子を出産しまして命を落としましたが、死後に御帳の帷の紐に結んであった文に辞世の歌が三首書かれていたのだそうです。その中のひとつがこの歌というわけです。『後拾遺集』の哀傷の巻頭に載った歌なのであります。

    「ゆかし」という言葉のニュアンスがなかなか難しいかも。これは「見たくて仕方ない」というニュアンス。

やっぱり、助詞や助動詞が難しいのでありまして、「し」が過去の助動詞であることは簡単ですが、「ずは」は打消の入った仮定条件でありまして、全体が未来時制になるのであります。「む」は推量・婉曲の助動詞ではありますが、いっそ仮定条件に訳してしまうのがいいのかも知れません。「夜通し愛し合ったことをお忘れにならないなら、死後も私を恋い慕って下さるでしょう。もしそうなら、帝の流す追慕の紅涙を、悲しみの証しとして、ぜひとも見とうございます」というようなことを言っているのでありまして、なんとも壮絶な歌なのであります。『百人一首』が完成版であるという立場に立つと、『百人秀歌』にあって脱落した4首より、あとで入れた3首が上ということになりますけれども、私はへそ曲がりですから、もうちょっと違う事を考えます。『百人一首』に仮に特定の受取人、すなわち読者がいたとして、その人に合わせての入れ替えでありますから、藤原定家が自分の趣味趣向を抑制して、相手に迎合することもあるんじゃないでしょうか。だとすれば、これは愛唱歌で、相手に知られたくなかった大好きな歌だったとも言えるでしょう。お后様が、死んでも帝に興味を持ち続ける愛着は、実は尋常ではありません。

    春日野の 下もえわたる 草の上に つれなく見ゆる 春の淡雪(『百人秀歌』第73番・権中納言国信)

言ってみれば、「春の雪」を詠んだ歌でありまして、三島由紀夫の小説を思い起こしてしまいますが、三島由紀夫がこの歌を知っていたのかどうか、それは不明でありますが、『百人一首』に入っていたら、強い影響を与えていたことでしょう。ただその場合は、主人公の松枝清顕がクールな官僚志向の人物に描かれ、綾倉聡子の愛情をかわして破滅に追い込むというふうに主題が変形してしまったかも知れません。ちょっとした和歌の宗匠の匙加減が後世の文学を変化させたかも知れないという、つまらない妄想を申しております。作者は決して有名な人ではありませんが、実は和歌の歴史の流れの中では重要な役割を果たした人のようであります。源氏の大臣の子息でありますから、大変なお坊ちゃまでありますが、この人は堀河天皇の忠臣でありまして、『堀河百首』という和歌の近代化といいますか、革命的な催し物を企画した人物ではないかと推測されているのであります。まさに、そうした催しを思い付く人の歌でありまして、この歌は新しいのであります。『新古今集』の春上の巻・10番に位置しておりまして、たぶん当時の人々に評価されていた歌と言うことであります。

    草の上で とろけてしまう 春の雪(粗忽)
     つれなしづくりの うはべなるかな(粗忽)

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