Are you all right ?   我が袖は 乾く間もなし 潮干狩り(粗忽)(7)

画像びっくりいたしました。昨日の午後に花開いた花弁が、もうしおれてしまいまして、たった一日というか、24時間くらいの事であります。次のつぼみが桃色になりまして、開花する寸前ですから、毎日順番に咲いて、一週間という所でしょうか。だとすると、これは花束などにすることが出来ませんから、庭の植物としては楽しいものですが、花屋さんで売るわけには参らない、栽培の好きな方向けのお花であります。

春先に、園芸用の土を撒きました。

その中に、ひょっとすると種が混じり込んでいたのかも知れません。つまり、近所で見かけるわけでもありませんので、近所から種がこぼれてきたわけではないようです。去年買い入れた土を、イチゴを植え付ける時に見付けましたので、表面に撒きまして耕してみたわけです。去年畑で見なかった雑草ばかりでしたから、実は園芸用の土がいろいろな種を含んでいた可能性が高いと思います。

   もう甲子園が始まりまして、暇があると試合の中継を見てしまいます。今年も面白い。

画像昨日は、福島の聖光学院が登場しまして、見事にサヨナラ勝ちを収めたようであります。途中をちらっと見たのでありますが、キャッチャーの差し出したミットを宮崎の日南学園のバッターのバットが叩きまして、打撃妨害と言うことでしたけれども、見てるとバッターの態勢は、外角に外れたボールを追いかけて、伸び上がりながらバットを振ってますから打撃妨害をとるのはどうかと感じました。キャッチャーはいたそうでありましたが、大丈夫なんでしょうか。

写真は、軽井沢の観光施設で先月撮影したもの。

先ほどから、岩手代表の花巻東と、東東京代表の帝京の試合を見ております。投手の急速が違いまして、先発投手のMAXが、花巻東は120キロ、一方の帝京は140キロというような違いでありまして、びっくりしたんでありますね。120キロなら昔は立派なものでしたが、いまや150キロの急速を誇る選手がおりますから、大丈夫なのかと思ってみておりました。花巻東は菊池くんという剛速球の投手を擁して一昨年は大活躍でしたが、そうか今年は打たせて取るのかと見ておりました。現在は5対5の同点でありまして、花巻東もエースがマウンドに上がりましたが、三塁手とランナーが交錯して走塁妨害が宣告されて帝京が1点勝ち越したところです。いろんなことがあるなあ、この勝負どうなるのだろうと思う次第です。

    春日野の 下もえわたる 草の上に つれなく見ゆる 春の淡雪(『百人秀歌』第73番・権中納言国信)

『新古今集』という、元久2年(1205)成立の勅撰集に採用されたものです。藤原定家が撰者の一人を務めたものですから、きっとこの歌を入れようと主張したことでしょう。詠まれたのは、じつは長治二年(1105)ころですから、それから百年ほど経ってから高く評価されたものであります。百年と一口に言いますけれども、そんな昔の縁もゆかりもない歌人の歌を評価するというのは、よく考えると大変なことであります。詞書きに「堀河院御時百首歌たてまつりけるに、残りの雪の心を詠みはべりける」とありまして、要するに「残雪」というか「なごり雪」をよんだものでありまして、季節の歌であります。ところが作者の国信さんは、これに巧妙な仕掛けをほどこしているのであります。まず、「もえわたる」のところでありまして、野の草なんですから「萌えわたる」つまり「一面に生え初める」という風景であることは間違いありませんが、「燃え渡る」で、恋に燃えて通いつめるというニュアンスが隠れているのであります。何をそんなうがったことをと思う方は、和歌の伝統が平安時代の終わり頃に大変な変質を遂げたことをご存じないと言うことです。つまりこの歌は、季節の歌の中に、男女の恋愛が仕込んでありまして、だからこそ「つれなく見ゆる」と来るわけです。年ごろになった女性の所に、さりげなく訪問する男の様子を、下の句から読み取るのは難しくありません。「春日野」に「かすか」がちらつき、「淡雪」のつれない薄情そうな感じと照応するわけで、旧都奈良を舞台にした季節の歌が、それとなく恋の情緒に彩られているんであります。

    山桜 咲き初めしより 久方の 雲居に見ゆる 滝の白糸(『百人秀歌』第76番・源俊頼朝臣)

『百人秀歌』というのは、どうやら『百人一首』の原形らしいと言うことで結論が出ているものであります。存在する伝本はたった二本ということでありますが、藤原定家の日記である『明月記』と照らし合わせても、どうもこちらが宇都宮頼綱(法名蓮生)から依頼された嵯峨山荘の障子にあしらう色紙形和歌のもとであろうと言われておりまして、それが『百人一首』と似て非なる所があるものですから、非常に面白いのであります。そのなかで、歌人の入れ替えに関しては三人を省き、新たに後鳥羽院と順徳院を加えましたので意図は明瞭であります。加えなければならない二人の席を空けるために、お好みの三首の歌を切り捨てたとも言えましょう。問題は、歌の差し替えを敢行した源俊頼の扱いなのであります。簡単に言うと、入れ替える前の「山桜」の歌は、ある人物に対して、藤原定家が「人前で発表する時はこう詠みましょう」と推薦した歌であります。入れ替えたあとの「うかりける」の歌は、ある人物から「定家ってやつはこう言うのが好きなんだぜ」と指摘された歌であります。つまり、どちらもいわく因縁がありまして、それが幕府と朝廷の大物でありますから、事は重大なのであります。もったいぶらずに言うと、前者は源実朝でありますし、後者は後鳥羽院でありますから、なんとも恐れ入るようなキャスティングでありますね。それにしても、この「山桜」の歌は、あっけらかんとした比喩・見立ての歌でありまして、山桜が滝のように空にあるよと言っているだけなのであります。豪快と言えば豪快、イマジネーションによる桜の歌であります。

    咲き初めて 滝にぞ見ゆる 山桜(粗忽)
      雲居遙かに 隠岐にいませり(粗忽)

    

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