The moon nearly full. いつとても月はかくこそあれ(徒然草)(5)

画像おはようございます。普通に挨拶をしてみると言うことは大事なことでありまして、職場に顔を出しても、普通に挨拶できない人というのはたくさんいるのであります。じゃあ私は必ずするのか、というとそうでもありませんで、耳が遠いせいもありますが、後から声をかけられた場合は気が付かない時もあるのであります。ただ、挨拶というのは年賀状のやりとりと同じでありまして、毎回挨拶が返ってくるからと言って親しいわけでも、親しみが倍増するわけでもないのはご承知の通りであります。満員電車に乗っていても、自宅から車に乗ってきても、その途中で出会った見ず知らずの人と挨拶するわけではなく、どの範囲に挨拶するか誰もが日ごろから判断を重ねておりますね。

まだまだ咲いているクレオメであります。

おはようと声をかけますと、揺れて見せたりするわけですから、よもや挨拶を返しているのかなどと思うわけですが、ともかく元気な姿を見るにつけ、雨風を物ともしないこの植物の強さを思うわけであります。我が家の庭が花で一杯に満たされた庭でしたら、クレオメも目立たなかったのでしょうけれど、樹木を中心としたできあがってしまっている庭でありますから、そこに紅一点という状態で咲き続けているわけです。ハーブ類も花の目立たない物ばかり、そして今が盛りのキンモクセイも、緑の葉に隠れておりまして、盛りを過ぎたリリオペは樹下にひっそりと咲き、紫蘇に至っては花が目立たないのであります。大学の文学部では、女子が九割、男子は一割でありましたが、その一割に属していたことによって、今のクレオメさんの気持ちが少し分かります。進学してみて、自分が人生行路を誤ったと言うことは疑いようもありませんでした。というのは明らかに冗談です。

    どうも、お勉強か何かで、このサイトの『百人一首』や松尾芭蕉の俳句にアクセスする人がおります。

画像タイトルに英文を入れたりして、検索に上がらない工夫をしたつもりですが、文字列だって検索で拾うのでしょうから、たどり着く方がいるんですね。教科書か何かに入っている和歌や俳句を、たぶん割り当てられて、調べないと困るのでしょうけれど、ここのを提出したら奇妙奇天烈なことが書いてありまして、先生に叱られることでしょう。引用しにくいだらだらした文体で書いているので、よもやコピーアンドペーストなどしていないと祈りますが、何が起きているかはうかがい知れません。自分で考えなさいったら。

写真は今朝も咲いているムラサキツユクサ。

昨日、『徒然草』の第212段を引用して訳してみたのですが、そこの所に小さな小さな問題があるのであります。この段が何かで使われるわけもなく、内容に大きな問題があるわけでもないので、別にどうでもいいのですが、どうでもいいことばかりなら、こんなブログを書く必要もなくなってしまいますので、気になったことを記してみたいと思います。

    秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、
    無下に心うかるべき事なり。(岩波文庫『新訂徒然草』第212段)

昨日紹介した本文では、後半の所に「人」がありませんので、解釈が違ってくるのであります。違ってくると言っても大したことはないのですけれども、本当はどっちが正しいのか、というような迫り方も出来る箇所であります。違うのだけれど同じなんですが、同じに見えて違うわけで、いろんなことを考えることが出来るのであります。岩波文庫『新訂徒然草』というのは、冒頭に凡例というのが付いてまして、どんな本をもとにしたのかということが詳しく書いてあります。なんでも、烏丸光広本というものを底本にしているそうですが、これは江戸時代初期の権中納言だった烏丸光広があれこれ手を加えて校訂したというもので、章段を分けたり、句読点を施したり、濁点まで打ってある親切な本でありまして、どうやら江戸時代の人はこれを使って『徒然草』を読んでいたようなのです。

    非常に意義深い本ですが、別にベストな本文でもないと言うことなのでありましょう。

画像前にも掲げた岩波文庫の写真なんですが、後で気が付いたことがありまして、「毛を吹いて疵を求める」ようなことになるので、あらかじめ断っておきますが、この表紙に問題があって、誰がどういう意図でこのデザインをしたのか気になるだけなのです。写真の左下の所に、たぶんジャン=フランソワ・ミレーの「種まく人」を図案化した、お馴染みの岩波書店のマークが入っております。実は岩波書店のマークが絵画をもとにしているということに気が付いたというか、意識したのはついさっきでありますが、それは問題ではありません。その上の、筆で書かれた徒然草の影印と言いますが、写真が問題なんですね。

この三行、中途半端だとお気づきですか?

こういう失敗を私もしたことがありますが、これは出来たら取り下げてカバーの作り直しが必要なんでしょうね。こうして出したら、だれでも『徒然草』の序段の冒頭が掲示してあると思うはずですが、よく見ていただくと違うんですね。序段の途中から、第1段の途中までが出ているのであります。どうしてこんな中途半端なことが起きたのかと思って、探ってみましたら、この本はたぶん東大国語研究室蔵本でありまして、阿波国文庫旧蔵本というものでありまして、その最初の三行をカットして、四行目から六行目の所を、いわゆるトリミングして掲示した物のようであります。安良岡康作さんの『徒然草全注釈 上巻』(角川書店)18ページにこの本の冒頭の写真があるので分かったんですが、どうやら阿波国文庫の蔵書印が邪魔なので、そこを外してみたようで、見てくれだけの三行掲載なのであります。「つ」で始まるから、「つれづれなるままに」かと思ったら、そうじゃないんですね。

     つくればあやしうこそものぐるお
     しけれいでや此世にむまれてはねが
     はしかるべき事こそおほかめれ御

岩波書店の日本古典文学大系『方丈記 徒然草』(1957年6月5日)発売も、この阿波国文庫旧蔵東大国語研究室本というのが底本だったんですが、岩波書店は新日本古典文学大系『方丈記 徒然草』(1989年1月12日)を出す時に、正徹書写本を底本に選んでおります。知っている人が見たら、大変な大変革、大きく舟が舵を切ったと言うようなことなのです。1957年、なんだかもめにもめたことがあったんでありますが、そのことの事情を知る人も余りいないのかも知れません。どうなのでしょう。そのもめ事が、あとで自分にも影響したんでありますが、影響したので揚げ足を取ってみました。岩波書店は、カバーの写真を差し替えるように。あるいは、要らないかも。著者からも再三そう言われてきたのではないでしょうか。

     「御」というひと文字の続きを見ると分かるけれども、なんだか杜撰なんですね。あまりに。

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この記事へのコメント

バニラッシュ
2011年10月09日 18:29
クレオメはとってもきれいで、「はあ~っ」っと美しさに酔いしれることができました。ありがとうございました。
しかし^^;後半からは難しくなってきて、「ううう・・・」と車酔いにあったような気持ちになりました。
おつむが弱いので、難しさに思わずクラクラって感じです^^;。
粗忽庵
2011年10月09日 19:31
クレオメはいつ枯れるんだろうと思ってはらはらしているんで
すが、なかなか元気ですね。
後半は、難しいと言うよりも奥歯に物が挟まってるかもしれま
せんね。写真の筆の字は、訓練しないと読めないんで、カバー
を作る時に、チェックを忘れたんでしょうね。気分だけだった
んでしょう。Tシャツの英語と同じ感じですね。私も、変な横
文字の入ったシャツを着てると思います。

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