Entrusting to others. ともかくも あなた任せの としの暮れ(一茶)(6)

画像リュウノヒゲ、またはジャノヒゲというようですが、青々と茂っております。茂みの中に、目の覚めるような青い実が隠されておりますけれども、毛を吹いて疵を求めるようにしないと、見つからないのであります。去年の夏の猛暑で枯れまして、枯れたところを刈り取りましたが、今は復活しまして青々としているのであります。そこにつかまっているのは、黄色い蝶々でありますが、かすかに見える斑点からすると、キチョウという蝶々でありますが、植物も昆虫も詳しいわけではないので、間違っているかも知れません。

しかし、真冬に蝶々は珍しいと思います。

ただ、昆虫採集のプロの方にうかがったら、ごくありふれたことだそうでありまして、なあんだそうなのか、世の中には知らない事が山ほどありまして、この年になっても新たな謎、新たな疑問が湧くわけでありまして、人生何があるか分からないものでありますね。それにしても一羽だけで大丈夫なんでありましょうか。ええと、つまりつがいになるような相手と言いますか、パートナーが存在しなくて、子孫を無事に残せるんでありましょうか。そのあたりのことに関しては、暇があったら調べてみることに致しますが、いつになるかは分かりません。

    本日は旧暦で言いますと、12月24日でありまして、丁丑(ひのとうし)、月は下弦の月です。

ずっと読み進めてきた『おらが春』でありますが、飛ばし飛ばし、文政二年もあとわずかばかりというところに辿り着きまして分かって来ますのは、小林一茶が俳諧の宗匠でありまして、彼を手厚くもてなす門人も至るところにおりまして、だとすれば、田舎に引っ込んだままひっそりと暮らしている世捨て人、というわけではなかったのであります。学校などでちらりと教えられますから、それを手がかりにイメージを形成するわけですけれども、雪国に居を構えた好々爺という印象は、『父の終焉日記』に目を通したあたりで修正できましたが、幕末にほど近い19世紀の日本の田舎田舎した生活を書いたのだろうというのとは、ちょっと違うのであります。ちょっと違うと言いますのは、あらかた同じと言うことでもありますから、世間の方が抱いているイメージを修正しようという魂胆はないわけでありまして、要するに初めて通して読んでみたら、もうちょっと小林一茶は生々しかったということです。

    もちろん、去年か一昨年に藤沢周平さんの『一茶』を読みまして、あれこれ考えてはおりましたが。

以前に、NHKのBSでやっておりました、『BSマンガ夜話』という番組で、コメンテーターの皆さんが、『エースをねらえ!』というマンガを論じておりました時に、お蝶婦人という登場人物の自宅の描き方を問題にしておりまして、昔の漫画家はお金持ちの暮らしを知らないので、どうしてもこんなふうに、主人公にバスローブを着せて、暖炉を描いたりしてしまう、というような指摘をしつつ、ため息をつくのであります。そのため息は、けっして軽んじているふうではなくて、かつての日本がどんだけ貧しくて、マンガを志した人たちが如何に苦労しながら漫画の世界を作っていたかということについての、同病相憐れむ、慈しみのため息と見ました。みんな貧しかったよね、ということなのです。吹き抜けの玄関とか、その正面にある階段などと言うのも、実は今頃のドラマにだって出てきまして、漫画の世界の文法が今でもドラマの世界で意味を成すというのを実感する時があります。俳諧の宗匠というものも、微妙なものでありましょうから、『おらが春』を読んだら門人の方々はどう思うのでありましょう。

    関東地方を流浪するような宗匠生活から足を洗って、故郷に居着こうとする微妙な時期でしょうか?

画像午後になりましたら、リュウノヒゲから地面に降りていたキチョウであります。暖かな日射しが気に入って、より暖かい地面に降り立ったのでありましょうか。ここは、実は通路でありまして、行ったり来たりしておりましたから、気を遣いましたが、踏みつぶしたりしないように注意しました。

さて、文政二年は年末に節分であります。

どうやら、12月22日が立春のようでありまして、前日の21日が節分の豆まきの日であったようです。さとちゃんがいたなら、一緒に豆まきをしたことでしょうけれども、それらしいことは書かれておりませんで、小林一茶は妻のきくさんと二人で水入らず、声を張り上げて「福は内、鬼は外」とかけ声をかけたことでしょう。この一年のうさを振り払うように、二人は豆をまいたと言うことかも知れません。立春というのは、太陽暦に基づく二十四節気でありますから、農民ならばこちらを大切にして暮らしますから、太陰暦の12月21日であっても、もう気分は春なのでありまして、つらいことのあった一年を振り払おうとしているようであります。ちなみに、この日はグレゴリオ暦では、なんと2月の5日でありまして、寒さのピークは過ぎ、ふと畑の麦の青さに目を奪われたり、ほころびかけた梅の木に注目が行く頃なのであります。

       廿一日節分
   一声に 此の世の鬼は 逃げるよな
   けふからは 正月分ぞ 麦の色
       札納め
   梅の木や 御祓ひ箱を 負ひながら

この梅の木は神社の境内なんでありましょう。御祓い箱は神社に持ち寄ります。岩波文庫の脚注によれば、その一年であちこちから授かったお札の類を箱に入れて持ち寄るのではないかと思われます。さとちゃんのために手に入れたようなものも、もちろん納めに参るわけでありまして、よく分からないのでありますが、箱を背負って出かけた姿勢が、梅の木のようなのではないでしょうか。普通に歩いている姿勢と違っておりまして、人の姿を見ても自分の姿を考えても、不恰好で梅の木みたいなかがまりようなのであります。だとすれば、さとちゃんをおんぶした時の記憶などもありまして、なんとも気の重い年末を過ごしたんですが、少しは軽くなったかも知れません。

    分からないながらも、しつこく考えておりますと、無い知恵が少しは出て参ります。正しいかどうか。

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