We need moxibustion.  必ず灸すべし。(7)

画像雨でございますな。「春雨じゃ、濡れて行こう」というセリフがありましたが、さて私のような無教養では、それがどこに出ているのか分かりかねるのですが、便利になったもので調べると出て来るのであります。何で調べたのかって言うと、当然グーグルでありまして、そうするとウィキペディアの「行友李風」という項目がトップになりまして、この四字熟語は何だろう、何ぞ、何だっぺということでありまして、どうやら新国劇の座付き作者の方でありまして、代表作は大正8年(1919)から上演された『月形半平太』だと分かりました。

雛菊「月様、雨が……」
月形「春雨じゃ、濡れてまいろう」

というような惚れた男女の会話でありまして、50年以上賞味期限が切れなかった名台詞のようであります。テレビのいろんな場面で出てきまして、わけも分からないまま脳みその中に蓄積されてきたのであります。インターネットは恐るべしでありまして、分かったつもりにはなりますが、さて本当なのかどうか。だいたい、行友李風なんて戯曲作者の名前は初めて見ましたし、月形半平太って実在の人なの、それとも架空の人物、というようなレベルなのであります。どれどれ、私のようなアナログ人間は、有名出版社が出した有名な辞書などにないと信用いたしませんので、どっこいしょと立ち上がりまして、確実なものを見てみることにいたします。少し待ってておくんなまし、待っててちょ、待っててくれっと助かるんだげっちょも。その間、どうぞ雨に濡れているイチゴの花をご覧下さい。

   新潮社刊行の『増補改訂 新潮日本文学辞典』(昭和63年・1988・1月20日・定価6500円)を見ます。

画像お名前は「ゆきともりふう」とお読みするようでありまして、本名は直次郎さんと至って普通の方であります。明治10年(1877)広島県に生まれたようで、大阪新報社というたぶん新聞社で社会部長になったとありまして、大正6年(1917)沢田正次郎が新国劇を始めたときに書いたのが『月形半平太』と『国定忠治』でありまして、これはどうやら<大当たりも大当たり、戦後も演じられた定番であります。新聞小説の連載も一時なさったことがありまして、亡くなったのが昭和34年(1959)の師走のことのようです。享年は82歳くらいですから、さぞや長命で幸福な人生かと思いきや、ウィキペディアを見たら、そちらの方が詳しいのでありまして、月形半平太のモデルが土佐藩士の武市半平太であるとか、晩年は新国劇が芸術性を求めたために、娯楽色のつよかった行友作品を敬遠して、亡くなった時には疎遠だったなんて出て来るのであります。創生期の人材を大切に出来ないようでは、先行きが怪しくなるわけでありまして、彼の死後25年で新国劇は解散したと、寸鉄人を刺すような言葉がしたためられております。緒形拳さんは、行友李風が亡くなるちょっと前に新国劇に入った人でありますが、10年くらいで抜けておりますね。抜けずに続けさせておいたら、新国劇はいまでもあったのかも知れません。

   亡くなった時に、緒形拳さんのご子息が、父親のことを「いい男だった」と語っていたのは印象的でした。

画像本日、武蔵野線に新しい駅が出来たようであります。「吉川美南駅」でありまして、新聞に載っていたので知ったわけですが、だとすれば埼玉県南東部はまだまだ開発中と言うことでありまして、越谷レイクタウン駅に続いての新駅開業ですから、沈滞している他の地域と違っていると言うことであります。おそらく、何年か先にはモールの類が建設されてにぎやかな商業地になるのかも知れません。私がはじめて武蔵野線に乗ったときとは、いまは電車の速度も客層も違っておりまして、これからも変化があるのかも知れないのであります。

写真は寒さで枯葉の目立つリュウノヒゲ。

実はグーグルマップの航空写真で、その吉川美南駅のあたりがどうなっているか見ておりまして、ついでに故郷のあたりも見ていたのですが、一つ気が付いたのは、航空写真を拡大してみると、どうも1軒ごとに怪しい透かし番号のようなものが見えまして、気味が悪いというか気になりました。別にオサマ・ビンラーディンを匿っているわけではありませんが、ゼンリンの住宅地図なんかと照合しているのかと思うと、プライバシーは有って無きがごときものでありましょう。そんなことより、一つ気が付いたというか、分かったことがありまして、知っている人は知っていることなんでしょうけれども、航空写真を眺め、それを地図に戻したり、地図からまた航空写真に切り替えているうちに、長らく謎だったことが疑問に変わり、疑問を解く鍵が見つかったのであります。

   航空写真にも、町名やら字が表示されるわけで、地図の時は目立たないが、写真に文字は目立ちます。

それを見ていましたら、字(あざな)が「カロウト」と出て来るところがありまして、現地へ行けば当然片仮名で表示されているのであります。最初見たときは、お店か何かの名前であろうと思っていたわけですが、何度も通過してみるとお店なんかの無い場所でありまして、観光地でもなければ名所旧跡でもないようなのでありました。バス停の名前にもなっているのでありまして、変だなあとは思うんですが、何の関わりもありませんし、会話に出て来ることもありませんから、まあ言ってみれば無意識の領域に放り込まれたものでありました。ためしにグーグルで検索したら、この言葉「カロウト」は普通名詞でありまして、さらに調べると『日本国語大辞典』(第二版)にも出て来る、古い日本語だったのであります。この世は、まか不思議なものですね。

   「唐櫃」(からびつ)がなまって、「カロウト」になったって言っても、にわかに信じがたいものがあります。

古い日本語のようですから、表記が安定しないみたいで、「カラウヅ」「カラウト」「カロウヅ」なんてありまして、漢字の方も「唐櫃」だけではなくて「韓櫃」「屍櫃」とありまして、「骸櫃」だっていいじゃないかとおもうんですが、「辛櫃」というのもありまして、「櫃」だけでも「カロウト」と読むようであります。一つは墓石の下の骨壺を入れるところを言うようで、だったら墓石屋さんなんかでは普通の言葉かも知れませんよね。電話して確かめてみようかとすら思います。でもって、どうやら村はずれなどに用意した石棺でありまして、無縁仏が出たときに収納する為のものでもあるらしいのであります。そうなると民俗学の世界ですから、私にはもうなんだかよく分からない世界であります。そしてもう一つ、お嫁入りの時の道具なのであります。

   そう言えば実家の押し入れに、こいつがどんと置いてありまして、子供の頃不思議でした。

押し入れの襖を開けますと、だいたい押し入れの四分の一くらいを占める大きな箱があったのでありまして。ちょうど子供が隠れるのに良い大きさでありましたが、ふたを開けるのには押し入れから引っ張り出す必要があるみたいで、中に何かぎっしり詰まっているようでもあって、要するに私はこれを悪戯したことがありませんでした。子供だって、何でもかんでも悪戯するわけではないのであります。どうやら、嫁入り道具のようだとは分かっておりまして、のちのち同じようなものを見たとすれば、お茶屋さんの巨大な茶櫃でありますね。四角い大きな箱であります。ダンボールが普及する前は、大きな入れ物は柳行李か茶櫃であったのではないでしょうか。実家の押し入れにあったのは、茶櫃ではなくて、「カロウト」だったのであります。子供時代の謎が一つ解けまして、何だかすっきりしたような感じでありますね。正しいかどうかはともかく、なにゆえ母は茶櫃を押し入れに入れておいたのかという、ここ30年くらいの疑問が氷解いたしました。春だし、氷も溶けないと。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック