Is it named jellyfish ?  憂きことを 海月に語る 海鼠かな(7)

画像ヨモギの写真を探しましたら、ヨモギの中にツクシが生えている写真を見付けまして、こうして掲載してみました。ヨモギというのはなじみ深い植物ではありますが、お餅に混ぜ込んでよもぎ餅にする以外は、これと言った利用法がないような気がいたします。栽培するまでもない植物でありまして、あって当然、無いところを探すのが難しいくらいではないでしょうか。薬草としては非常に優秀のようでありまして、さらにモグサになって人の身を焦がすものでもあります。雑草の王者の風格でありますね。

見ればヨモギと分かるのが不思議。

ツクシの方は、これを発見すると春うららでありますから、ああツクシだツクシだと喜びますけれども、考えて見るとこれを摘んで集めて食べた経験は無いのであります。食べられるという話は聞きますけれども、食卓に上ったことがありませんし、野原で摘んでそのまま食べちゃったなんてこともないのであります。ツクシはどうなるのかなと思いましたら、スギナが春以降の姿でありまして、認識としてはまったく別の植物のようであります。ネットで「ツクシ」を調べますと、トップにウィキペディアの「スギナ」が出て来る仕掛けになっておりまして、それはそれで親切ではありますが、スギナになると影の薄い植物でありまして、名前を知らなくても生活に支障がないもののような気がします。しかし、ツクシが変身してスギナになるわけではないようでありまして、地上に別々に出て来るものでありまして、ツクシとスギナは地下茎でつながっていると言うことなんでしょうか。写真はフォトライブラリーから、カメラマンはマグナさんであります。

   だとすると今度試すことはひとつ。地下茎を引っこ抜いて、ツクシとスギナが付いているかどうか。

画像子供の頃にツクシを食べなかった理由を考えて見ると、農薬の問題があるような気がいたします。所有者がよく分からない広大な自然林の山が目の前に広がっていましたから、山菜摘みというのは簡単なことでありまして、農薬をまいてお米を作っている平地の植物を摘む必要がなかったと言えるでしょう。『カラー図説日本大歳時記』(講談社)の「土筆(つくし)」の項目を見ると、正岡子規の俳句が紹介してありまして、どうやらこの明治を代表する俳人・歌人はツクシを食っていたようであります。

土筆煮て 飯くふ夜の 台所(正岡子規)

ツクシの写真は、フォトライブラリーから、岡山のKusatomoさんの写真です。選ぶ時にはどなたの写真か分からない状態で選んでいるのでありますけれども、結果を見ると同じ方にお世話になることが多くなっております。ところで、『カラー図説日本大歳時記』の「土筆」の解説は山本健吉さんが担当だったようですが、ツクシに関して「柔らかく濃厚な甘みがあり、早春摘んで、土筆和えにしたり、佃煮、酢の物にして食べる。」とありまして、その後にさらに「風味が高い。」とだめ押しの一文が添えられております。これは絶賛と言ってよい書きっぷりでありまして、ひょっとして大好きであらせられたようであります。古典の和歌では「ツクシ」の歌は一首しか見つからなかったと言って紹介されているんですが、それは『夫木抄』に載せる藤原為家の次の歌なんだそうであります。ほう、たった一首ですか? 『夫木抄』が収録したのがたった一首なのか、それとも古典を通して「ツクシ」の歌が少ないのか、考えて見る必要がありそうです。「さほひめ」は春の女神だそうで、「つくづくし」は「つくし」の古名でありましょう。

   さほひめの 筆かとぞみる つくづくし 雪かきわくる 春の景色は(貞応三年百首)

一枚の写真からでも、いろんなことを考えまして、植物を見る目がなんとなく出来てくるような気がするんであります。十七文字の俳句からでもいろんなことを考えるわけで、ここのところは江戸時代の召波という俳人の俳句であります「うきことを くらげにかたる なまこかな」というものを考えているわけですが、空想は羽ばたきますけれどもちっとも核心には届かない感じがいたします。こう言うのを隔靴掻痒というのでありまして、外出先などで感じる不快感でありますね。靴を脱いで靴下を脱いで、思う存分かきむしってみたいと思うわけであります。この「かっかそうよう」の「よう」でありますけれども、「痒」はやはり「かゆい」という意味の漢字であります。ところで、召波の「なまこ」の句でありますが、実は大問題なのは「くらげ」でも「なまこ」でもないのでありまして、つまり今でも世の中に存在していて呼称に変化のない「くらげ」や「なまこ」という言葉はどうやらさしたる問題をはらまないかも知れません。

   要するに、「なまこ」が「くらげ」に何かを「かたる」ことそのものがフィクションであります。

ついうっかりしておりましたが、最初の部分にある「うきこと」という言葉、そのなかでも問題なのは「憂き」という形容詞の連体形が、実際何なのかというほうが大問題ではないかと言うことであります。「浮き」と掛かっているという指摘は最初にしましたが、考えて置かないといけないのは、現代語で「憂い」なんてことはもう言っていないということであります。「物憂い」という言葉に残っておりますし、たぶん古典を読めばたくさん出てきますから、分かった気はするんですが、じゃあなんで現代語に残らなかったのか。「憂き世」という熟語の中に残りまして、あると言えばあるんですが、これってどちらかというと「浮き世」になっているような気がいたします。さあ考えるぞ、って思ったら肩は凝るし、目は霞むし、いいことは何一つないのであります。その上今日は食事の制限をしておりまして、いらいらすることおびただしいのであります。

   憂きことを ブログで語る 所労かな(粗忽) 春は来ないし 腹は出てるし(粗忽)
                   (初老)

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