A condescending attitude. 而して風の力、蓋し寡し。(7)

「ジジジジジ」と蝉が鳴いておりまして、なあんだ鳴けばちゃんと聞こえるじゃないかと思うのですが、この前まで耳が聞こえていなかったのか、それともここに来て蝉が律儀に鳴き出したのか、どちらにしてもめでたいことなのであります画像。玄関脇のニオイシュロランの幹にくっついておりますが、玄関ドアを開けると慌てて飛び出しますけれども、先日と違って、ニオイシュロランの幹に舞い戻りまして「ジジジジジ」と鳴き続けようとしているのでありますから、夏の終盤になって行動が少しまともになってきたようです。

閑かさや 軒に斃るる 蝉一つ(粗忽)

松尾芭蕉のように旅をしたりは致しませんので、自宅に籠もりっきりの自称俳人の私、粗忽めが謹製あいなりました一句を残暑見舞いとして進呈つかまつるものにて候ふ。お嫌でなければ、どこか記憶の底の方にでも沈めて置いていただけますなら望外の喜びとなりますが、忘れて下さっても結構でございます。何ら呻吟することなく、お茶の子さいさい、すぐに作った紛れもないフレッシュな一句でありまして、そんじょそこらにはないような、シュール感でいっぱいであります。初句、「閑かさや」はもちろん『奥の細道』の中でも佳句として名高い「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」の句からいただきまして、あの蝉の声こそが閑寂の由来とするマジックを頂戴いたしまして、もはや歌うことのできないはかない骸(むくろ)となった蝉に対する追悼の句と致しました。中の句は「のきにたおるる」と読んでいただくものでございまして、「たおるる」はもちろん昔の活用を生かしたものでございます。最後のところがこの俳句の眼目でありまして、「蝉一つ」によって、それまで漠然としていた「閑かさ」、あるいは「軒」という言葉によってイメージされる俳人の住まい、そういったものから視線が小さな昆虫の姿に収斂しまして、世の無常、生き物の生と死、そういったものが剥き出しになるわけです。芭蕉の初句を取り入れたことによって、芭蕉の辿った陸奥の広がり、あるいは現代と江戸との時間的な乖離といったものが、今この瞬間にしっかりと凝固しまして、なんともリアルな「ナウ」が出現するのであります。と、俳人自ら解説してみましたが、お役に立てれば幸いでございます。

   舌を噛みそうな解説をしてみましたが、自分の俳句を解説するのは楽しいものであります。

画像本日は旧暦では7月3日なんだそうでありまして、間もなく七夕7月7日を迎えるわけであります。今年は閏3月があったために、それ以降の旧暦が太陽暦に対して遅れ気味でありまして、ようやく暦の上の秋を迎えているわけであります。二十四節気の立秋は例年通り新暦の8月7日に巡ってきておりましたから、旧暦7月になるのが2週間くらい遅い感じではないでしょうか。それかあらぬか、我が家の片隅で、今年も発見されたクレオメは、まだ花のつぼみもなくて、去年に比べたら随分遅れております。

七夕や じらしじらされ 恋の味(粗忽)

昔、大学生だった折に、研究室に誰かが笹の葉を持ち込みまして、願い事を書きましょうよというようなことで、皆さんはせっせとそれぞれの願いを書いていたのですが、そんなに真面目に書くものなの?などと思いまして、その時したためたのが、粗忽の作った俳句の最初であります。それまでも学校などで、俳句を作れ作れと言われていたのでしょうけれども、俳句を作れと言われないのに俳句を作ってみた最初であります。もちろん、天上の彦星・織姫の年に一度の逢瀬をからかいまして、それもまた恋の味をよくするスパイスみたいなものではないかという、七夕伝説への混ぜっ返しと、その頃進行中の自分の恋愛模様を読み込んでみたわけであります。さて、その頃は誰に恋をしていたのかよく分からないのでありますが、この場合は分からない振りをしていた方が身のためであります。恋愛というのは、あんまりスムーズに運びすぎると、お互いの真意とはまったく違ってしまいますから、なるべくじらしたり、じらされたりしながら、事を運ぶ方が間違いは少ないことでありましょう。映画見て、ご飯食べて、あれをしたり、これをしたり、そんなことは簡単でありますが、それこそすぐに破局するのは目に見えているわけです。最初は映画だけ見て、食事は今度ということにしたりした方が、長続きするんじゃないでしょうか。結婚したら、休日に映画見て、ご飯食べて、あれをしてこれをするのはごく普通のことでありますから、そんな所帯じみたのと同じことをして興奮してもしょうがないんですね。赤の他人と隣同士で映画を見るだけでも充分危険でどきどきするわけで、そのどきどきを小出しにした方が、楽しいのではないかなあなどと思うんであります。自分の過去の振る舞いはさておき。

   現代語で『源氏物語』を楽しんでおりますが、第21帖「乙女」の巻はこれは文句なく面白い。

内大臣は、姉の葵の上の忘れ形見である夕霧に笛を渡しまして、その笛に合わせて催馬楽を歌ったりして、これは非常にご機嫌なのであります。「湯漬けや果物などをお夜食に召し上がり」まして、このままなら完璧な夜だったんでありますが、そこでハプニングが起きるんであります。内大臣も光源氏に負けない艶聞家でありますから、母の大宮の邸に画像仕える女房の中に、愛人がいるんであります。帰るそぶりをしながら、その愛人の部屋に忍び込むんでありますが、そこで自分の噂話をしているのをふと耳にしたとあります。今時の核家族の住宅とは違いまして、人の出入りは盛んでありまして、お勤めしている女房の結婚相手だって夜になれば通ってきますから、まさか内大臣が忍んでいるとは思わずにいると言うことなんです。

空は青空、それをバックにサルスベリ。

どうやら、内大臣は知らないらしい。子供のことなんか全然分かってないわね。なんてことをひそひと、というかもはや女房の陰口ですから、口調で分かっちゃうと言うことなんであります。しまった。夕霧と雲居雁はできておったのかというようなことでありまして、自分の振る舞いなんかそっちのけで、この人はカンカンに怒り出します。時流におもねることをしないで光源氏と付き合っていたからこその内大臣でありますが、だとすれば相当の堅物でありまして、考えて見れば葵の上だってカチカチの堅物だったわけで、この一家は優秀なんだけれども、人間関係においては柔軟性を欠くところがあるんであります。いとこだから結婚は可能だが、これはつまらん縁組みだ、というような感想でありまして、内大臣は12歳の男の子と14歳の女の子のカップルを引き離しにかかるわけであります。

   あけすけに書いているようでありますが、読んでみれば分かるように、断然面白い巻なのであります。

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