Don't take a nap! うたた寝は物思ふ時のわざ。(4)

日射しが暖かいなあと思うのでありますが、節約しようと思って暖房を止めますと寒さが忍び寄ってくるのであります。家の裏手に温度計がぶら下げてありますけれども、これが6度くらいしかないのであります。そうそう、真夏の頃は平気で35度くらいを指していた温度計であります。午後2時を回ってから少し気温が上がった気がいたしますが、確認して見画像るとようやく8度でありまして、庭の地面を踏んでみると今朝の霜が、まったく本日は解けた様子がないような固さであります。近所からのいただき物のスティック状のパイをかじりまして、ほうじ茶でそれを流し込みまして、3時のおやつにもありつけましたので、本日もまあまあの一日かも知れません。

ようやく咲きましたオオキバナカタバミ。

非常にきれいな黄色でありまして、目を引く色ではないかと思うのであります。こういう色をどういうふうに表現するのかと思いまして、色彩についてのウィキペディアなどの項目を見て見ましたら、これがまた複雑でありまして、私などには歯が立たないのであります。マルセルカラーシステムなどというものがあるようで、普通の黄色をマルセル値で表現すると、「5Y 8/14」などと表現するようですが、これだとオオキバナカタバミの色ではないような気がいたします。光の三原色である赤と緑を混合した色として出来るYellowのほうが近いような気がしまして、RGB値でしめすと(255,255,0)となりまして、どうやらこれは「レモン色」というのにふさわしい色らしいのであります。ただし、レモン色のRGB値は一般には(255,247,0)と表現するようであります。素朴に子供の頃のまま12色・24色の世界に生きておりまして、要するにクレヨンや色鉛筆の色で世の中の色を見ておりましたが、いつの間にか何百色もあるパソコンのディスプレーの色彩などの方が一般的なものになりつつ有りまして、理解しようと努めましてもそれにまつわる説明はとても難しいものであります。

  赤い光と緑の光を足しますと、これがどうして黄色になるのか。

ちょっと細かいお金が必要になりまして、本屋に入って文庫本やら新書を漁ると言うことがたまにあります。書店に足を踏み入れるのは、もうそんな時しかないのでありまして、それにしても並べられている本の値段の高さに、今さらながらのことですが目を点にして驚いてしまったりします。ちょっと買っておつりを貰うつもりが、痛い出費になったりするのであります。こういう時に気をつけなければならないのが、買ったまま読んでいない本をうっかり重ねて買うことでありまして、よくよく前書きを眺めたり、奥付で出版年月を確かめたりしまして、慎重に購入するかどうか考えないといけないの画像であります。一か月くらい前にブックオフの100円コーナーで杉浦日向子さんの文庫を見つけまして、こんなのもあったんだ、ぜひとも手元に持ちたいなあなどと思って家に帰りましたら、ちゃんと作り付け本棚の中に並んでおりました。100円ならまだしも痛くはありませんがですが、新刊本の文庫なら700円くらいからでありまして、うっかりは許されないのであります。

幸福の黄色いカタバミ。

先日恐る恐る買いましたのは、寺田寅彦の『柿の種』(岩波文庫)でありまして、昔から噂には聞いていたものでありますけれども、自宅の本棚に二冊や三冊埋もれて居かねないわけであります。奥付によると1996年4月16日に発行されたものでありまして、平成に直すと平成8年のものであります。寺田寅彦は昭和10年(1935)に亡くなった人でありますから、死後60年も経ってから『寺田寅彦全集』をベースに作った本と言うことなのであります。この『柿の種』の評判は結構聞いていたものでありますが、さて現代で通用するのかどうかと思いましたら、読み始めてすぐの47ページに面白い文章を見つけてしまいました。俳句雑誌『渋柿』の巻頭に載せた文章だそうですが、大正10年(1921)12月とありますので、もう90年も昔のことであります。たぶん電車の田端駅のことかと思うんですが、舞台は「田端の停車場」の近くの坂道の途中であります。そこに、風呂敷一枚を下に敷いてがま口を5、6個ならべて売っている男が居るというのであります。「がま口」というのは、今で言うお財布でありますが、あまり聞かなくなりました。北風の吹く中、往来の人は少なく、誰も男に注意を向けないのでありますが、男は商売の口上を盛んにしゃべっていたそうであります。男の気持ちが分からん、と寺田寅彦先生は商人風情のすることはわけが分からないというニュアンスで突き放して見せるんですが、その後で人から評価されない文章や絵を書くのも同じ類だと言い添えております。寅彦が巻頭言を書いていた俳句雑誌のことであり、現代の私の書いているこのブログのことであります。いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、とっても便利でお得なお財布はいかがですか! 丈夫で長持ち、そこの旦那お一ついかがでございますか。不景気も吹っ飛ぶ金の貯まるお財布でござんすよ。ええい、持ってけ泥棒! などと言う口上でしょうから、「財布」を「ブログ」に置き換えても成り立ちます。

   さて、『源氏物語』も第47帖「総角」の巻であります。

法事の準備のために宇治を訪れた薫でありますが、これ幸いと言い寄ったものの、事を遂げずに夜を明かすという失態を演じております。このあたりを光源氏と比べますと、随分奥手のようでありまして、一つには皇族の女性である大君への遠慮があったんでありまして、光源氏は紫の上を手に入れるときには疾風のように迎え取っているわけでありまして、著しい対照をなすような気がいたします。彼が仏道を志すものとして八の宮に接近したという宇治デビューのきっかけが、この場合には厳しい足かせになっていると見るべきなんでありましょう。君子豹変するということわざがありま画像すけれども、このことわざは現在では悪い意味に使われますが、本来はそうではないというようなことをしばしば耳にいたします。薫の場合は襲いかかってから躊躇したんでありまして、反省しちゃったとも言えると思います。それなら非常に好人物とも言えるんですが、じつは大君はちっとも薫のことを認めなかったんでありまして、それなら事をためらったのは大失敗でありますね。

カタバミの咲く様子。

思うに、仏道の先達として八の宮に接近したことなんか忘れて、ここは豹変して大君を手に入れればよかったんでありまして、どちらかというと大君に恥をかかせたってことにならないでしょうか。女房たちの手前、妹の中の君の手前、あったともなかったとも言えないのであります。もう私は独身でゆくんだから、薫さんは立派すぎて私には似合わない、なんてことを彼女はつらつら思うわけでありまして、据え膳食わぬは男の恥とはよく言ったものであります。大君という人の思考パターンはデフレスパイラルのようなところがあるんですが、そうなると何だか取り返しが付かないような気がいたします。薫の実の父である柏木は随分独身生活が長かったんでありますが、それが女三の宮とのとんでもない関係の遠因だとすると、薫もまたそうした性格を受け継いだと言うことでありましょうか。ふと思うのは、夕霧と落ち葉の宮との関係と似たところがありまして、ある意味二番煎じでありますけれども、あちらがあとから書いたものである可能性は無いんでありましょうか。

   柏木の不義密通を知ったことが、薫の行動に影を落としているかも。  

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