TRDMC 涙こぼるるのみ。(2)

今から二年前といいますと、東日本大震災が起きまして、さらに福島第一原発から放射能が拡散したことによって、首都圏は計画停電を実施していた頃であります。先行きはまったく不透明でありまして、公共の場のエレベーター・エスカレーターをすべて停止し、商業施設の照明をほとんど付けないということで節電して何とかしのごうとしていた時期であります。原子力発電は国家の根幹にかかわるエネルギー政策の要であったわけですが、立地している場所を見れば画像、将来事故が起きても被害がたいしたことのない僻地に作ったのは明白でありまして、つまり設計段階では爆発もありうると想定していたのであります。いつしか、近隣住民に対して安全性を言いつのるようになりましたが、「安全だ安全だ」と言い含めるのは、「危険だ危険だ」と暗に示唆していたわけでありまして、そのあたりのナイーブな感覚がどうも脱落したようであります。

馬酔木(あしび)の花。

実は稼働して30年もすれば、配管を含めて全体が劣化・疲労するのは分かりきったことでありまして、すでに10年以上前に福島原発は放射能漏れを起こしていたはずで、安全性に対して佐藤栄佐久知事が疑問を呈して、あの原発は非常に微妙なことになっていたはずであります。原油のほとんどを海外に頼らざるを得ないということが日本のアキレス腱でありまして、それを何とかするための原子力発電だったわけでありましょうけれども、それに変わる将来性のあるエネルギー源が見つからない以上、国家としては原子力発電を止められないということなのかも知れません。二年経ってあの頃感じた事とちっとも変わらないことを書きしたためてみましたけれども、果たしてこういう認識でいいのかどうか。ネズミか何かのせいで配線がショートしたというのでありますけれども、それはあまりにもお粗末すぎて、ぜひ猫を飼えとお教え申し上げればいいのでありましょうか。ネズミが侵入するためには、そこに何らかの食料が存在しなければいけないのでありますが、まさかチーズを備蓄しているわけではありますまい。

   ともかく、夜ノ森公園の桜を見ることは叶わないわけであります。

今手元に新潮文庫の『萩原朔太郎詩集』と言うものがありまして、河上徹太郎編となっております。奥付を見ますと、最初に出版されたのは昭和25年(1950)12月10日のことでありまして、書棚にあった本は昭和52年(1977)6月30日発行とありまして、なんと43刷というのですから、息長く売れた本だったのかも知れません。昭和40年代には教科書に萩原朔太郎の詩が採用されていましたので、なじみ深い詩人だったことでしょう。河上徹太郎さんというのは、文芸評論家で画像ありますけれども、今念のためウィキペディアを覗いてみましたら、旧制第一高等学校に入ったもののピアノを弾くために休学したとありまして、この人が世に登場した時には音楽評論家だったようであります。東大在学中に小林秀雄と知り合ったり、中原中也・大岡昇平なんかと雑誌を刊行したりした人ですから、近代詩の目撃者としてはキャリア充分の方なのであります。

まだまだつぼみが目立つ桜。

この文庫本は、紙質があまりよくないようでありまして、随分茶色く劣化が目立っているのでありまして、もはやブックオフなどに持ち込んでも、「こちらで処分してよろしいでしょうか?」と念を押されてしまうようなものであります。発行されて36年の月日が経ちまして、萩原朔太郎が亡くなったのが昭和17年(1942)でありますので、死後35年目に印刷発行された文庫をさらに36年経過して眺めているわけでありまして、もうこの書棚の本などほとんど価値は無に等しいのであります。これで分かるのは、萩原朔太郎が亡くなってから71年が経過しておりまして、朔太郎に直接会ったことのある人はほぼ鬼籍に入ってしまっているだろうというようなことであります。紹介するのは、『純情小曲集』の「哀憐詩篇」に載っている「桜」という詩であります。『純情小曲集』は、北原白秋に捧げられたもののようであります。そういうことも含めまして、実はこの文庫本は私のものではありませんので、今回この文庫を開いて初めてこの詩の存在を目にしたかも知れません。

   桜       萩原朔太郎

桜のしたに人あまたつどひ居ぬ
なにをして遊ぶならむ。
われも桜の木の下に立ちてみたれども
わがこころはつめたくして
花びらの散りておつるにも涙こぼるるのみ。
いとほしや
いま春の日のまひるどき
あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。

   

「桜」という詩はたったこれだけであります。たった8行のみでありまして、おそらくは三つの文から出来ているだけでありますけれども、最初の2行は花見を楽しむ世間の様子でありましょう。浮かれて酒を飲みつまみを食べ、歌ったり踊ったりしている様子を素っ気なく描写したのであります。参加していないから、描写が素っ気ないとも言えますし、軽蔑しているから参加する気がしないのかも知れません。第2文は、人々を見習いまして、どんなものかと桜の木に接近した様子でありまして、この場合の「つめたく」というのは英語のクールに近い語感かも知れません。馬鹿騒ぎする気になれないというのでありまして、むしろ落花に涙してしまうというのであります。散る花を惜しむのは古典の流れでは普画像通でありまして、桜を見て馬鹿騒ぎをするのは教養人としては恥かも知れません。第3文目の「いとほしや」が何に対して発せられているかは分かりにくいのですが、これは落花に対して気の毒よと言うのでしょう。春の日の真昼というのですから、「涙を流す」のは変だという常識をテコにしまして、無理やり悲しい物として桜を見つめている自分ではないのに、と不思議な感情の揺らぎを分析しております。

枯れた葉も見えるイチゴの様子。

ひょっとするとでありますが、明治時代に正岡子規が『古今集』を大々的に否定しまして、これを下らないとやっつけたのであります。この結果、今でも『古今集』というのはその時のダメージを蒙ったままでありまして、国民的な古典の和歌集の第1番の位置は『万葉集』に奪われたままでありますけれども、しかし明治時代に生を受け大正時代くらいから活躍する近代詩人の多くは、実は『古今集』以来の伝統的な和歌を学んで長じた可能性がありまして、萩原朔太郎なんかも落花を愛惜する古典和歌の伝統を知っていた可能性はあるのであります。知っていたとすれば、非常に安らかに桜の花の散るのを見て涙を流すことが出来たはずなのでありまして、そのことがこの文語文のようなこの詩を背後からがっちり支えているみたいに見えるわけです。揺るがぬ愛惜の情であります。江戸時代の庶民は、天下太平の世を花見で実感しまして、上野のお山をながめ、隅田川の土手を散策し、飛鳥山にはせ参じたのではなかったでしょうか。明治になろうが大正になろうが、昭和も平成も日本の庶民は花見の馬鹿騒ぎが大好きでありましょう。これに対して近代人萩原朔太郎はちょっと斜に構え、さりげなく古典和歌の伝統に連なる憂いを表現したとしたら、どう評価してよいものやら。しかし、この詩はちょっと手を加えると短歌といいますか、簡単に和歌が出来てしまいそうであります。もちろん、お粗末なものでありますが披露するといたしましょう。

   春の日に桜の下につどひ居て我のみ泣くや散り敷くを見て(粗忽)
   我ならず涙こぼれておつるかないとほしくもや散る桜花(粗忽)

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