As if there were no tomorrow. 明日をなき日と思わせて。(3)

微妙な問題というのは世の中にたくさんありまして、因果関係も含めて判然としないというのがしばしばあるものであります。歴史の叙述というのは、まことしやかに世の中の流れを説明いたしますけれども、そんなのは机上の空論もい画像い所でありまして、誰かがうまいこと突っ込みますと容易に話がひっくり返ったりいたしまして、定説は初心者向けの適当な話で実際にはとんでもないことになっているということがあるものです。何か言いたいことがあって言い出したのかというと、別に何の意図もないのでありますが、お目に掛けている写真の桃の花は、どうも濃淡二色あるような気がするんですが、いかがなものでありましょうか?

まさか源平桃?

昨日だか一昨日話題にしました「源平桃」なんですが、グーグルの画像検索をいたしますと、これはもう見事に紅白二色でありまして、そこからするとこの写真のような濃淡のある桃の花が何なのかよく分からないのであります。平家の旗は赤で源氏の旗は白なんだそうでありまして、だから一本の木に二色あると言う場合にはこれを「源平桃」と名付けたわけでありましょう。そこからすると、濃い桃色と、薄い桃色というのでは何となく中途半端でありまして、何となく平家にもいろいろあるというような感じですから、「いろいろ平家桃」とでも名付けたくなるわけであります。余計なことを申し上げますと、源平の合戦を戦ったのは基本的には武士の源氏と平家でありますけれども、両者ともにもともとは皇族由来の貴族でありまして、源氏は清和天皇あたりから出た清和源氏、平家のほうはもうちょっと古くて桓武天皇あたりから出た桓武平氏のはずでありますし、さらに平清盛が政界に進出した時に、昔から都にいた平家が中央政界にいたはずでありまして、武士と貴族という区別が本当に成立するのかどうか、たぶん分からなくなってしまうのであります。もちろん、専門家の方は截然と区別をしているのかも知れませんが、平清盛なんかが武士としてのアイデンティティが本当にあったのかどうか、疑ってもいいかも知れません。

   平家の人はみんな落人になったと思われがちですが、そうでない人もいたはず。

先日夕方のNHKの放送で茨城県古河市の桃の花が紹介されていまして、映像で見る限り非常に見事なものでありました。そこで、「源平桃」も話題になりまして、やっぱり紅白二色でありまして、これは紛れもない鮮やかなものですから、誰の目にも間違いなく不思議な花の姿として記憶される類のものであります。そこからすると、私が本日家の近所で撮影した桃の花の、濃淡二色の桃色の花の正体は一体何なのかと気になる所であります。実は、調べてみると一昨画像年この桃の花を見つけました時も、同じような感想を抱きまして、その時すでに「源平桃」かも知れないと書きしたためてあります。平成23年(2011)4月12日付けの記事でありまして、リンクを張るほどのことでもないと思うのであります。しかし、そんな記事を書いたことなど忘れておりまして、二年経ってまた再び調べて「源平桃」というものがあるらしいと書いているわけですから、アルツハイマーの関係者には叱られそうですが、軽度のアルツハイマーの症状を示したわけであります。ど忘れというと、誰にでもある普通のできごとですが。

おしべの色の違いにご注目下さい。

植物に関してはまったく素人でありますから、うかつなことは言えないのでありますけれども、うかつに物を言ってみると、この写真の花弁の中央付近にたくさん見える細い糸状のものがいわゆる「雄蘂(おしべ)」と呼ばれるものでありまして、まさにその糸状のものを「花糸」と呼ぶらしいのであります。花糸の先端にある黄色く見える部分が「葯(やく)」と呼ばれる部分で、その「葯」の中で花粉がはぐくまれているらしいのであります。こう書いてみて思うのでありますが、私の子供時代の学校教科書は、このレベルをちゃんと記述していたのでありましょうか。今ちょっと調べると、花粉の顕微鏡写真がいっぱい出て来まして、何とも不思議なミクロの世界ですが、昔からそういうものがあったような気もしますけれども、植物によって花粉の形がいろいろあるとすれば昔は詳細な画像なんてそんなになかったという気がするのであります。ともかく、濃淡二色の桃色の花びらと、おしべの花糸の色が連動するようでありまして、だとするとこの桃の花はやはり二色の色を持っておりまして、源平桃に準じるような性質だと言うことでしょうか。分かったような分からないような、曖昧模糊とした結論が出て来たのであります。

   さてさて、今手元にあるのは新潮文庫『三好達治詩集』(河盛好蔵編)です。

河盛好蔵さんというのは懐かしい名前でありますが、何がどう懐かしいのか、とんと思い出せないのであります。昔は文庫本などを買おうと本屋さんの文庫のコーナーに参りますと、河盛好蔵さんの文庫が何冊かあったような気がいたします。今手元にある物は、昭和26年2月10日に発行された物でありまして、実際には昭和50年(1975)7月30日発行の38冊となっております。第二次世界大戦が終わって、ようやく日本に秩序が戻ってきたというような時期に発行された物でありまして、息長く売れたと言うことのようであります。この頃の文庫というのは古典として永遠に通用しそうなものだぞという雰囲気をまとっていたのでありまして、ありがたく押し頂いて書店から持ち帰り、丁寧に紙のカバーを付けてじっくり読むものだったはずです。三好達治の詩は教科書にありましたから、安全無事な詩集を購入したのでありまし画像ょう。いつもながら私のじゃないのであります。持ち主が誰かはともかく、その詩集の102ページから、短い詩をご紹介です。

  桃の花さく   三好達治

桃の花さく裏庭に
あはれもふかく雪はふる
明日をなき日と思はせて
くらき空より雪はふる



たったこれだけであります。四行で書いてありまして、短すぎる感じであります。ただし、前後の詩は無関係ではないようでありまして、連作中の一部というふうに扱うべきなのかも知れません。河盛好蔵さんの編集のしかたがゆるいような気がしまして、どうもこれは青磁社という所から昭和19年(1944)にでた『花筐』という詩集の一節に当たるようであります。昭和19年に発表した詩を、新潮文庫に昭和26年に入れて出版しておりますから、三好達治の詩が人気があったのか、それとも新潮文庫が活字に飢えた戦後の知識人に提供するネタが尽きて新作に手を出したのか、まともな詩人の詩集が7年くらいで文庫に入ってしまう時代があったと言うだけでも興味は尽きません。文庫本にしたら18ページで収まってしまいまして、版元の青磁社との関係が気になる所であります。「青磁社」という出版社は現在京都市に存在しておりますが、ホームページを見ると戦前の青磁社の名前を受け継いだことを明記しておりますけれども、現在の会社は12周年とありまして、3代目なんだそうであります。

   いつもながら、詩を紹介してからあれこれ探索するわけですから、ご容赦下さい。

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