As if there were no tomorrow. 明日をなき日と思わせて。(4)

みなさん、だまされてはいけませんぞ。桜も咲いたし、朝は暖房なしで平気だし、昼間はジャケット不要どころか半袖シャツだっていいくらいでありまして、わーい春だ春だと浮かれてはいけないのであります。いつもの年ならこの頃は、最画像低気温が5度を下回りまして、最高気温だって15度にやっと達するくらいのはずでありまして、つまりこの前から妙に暖かいのはおかしいのでありまして、気候が変なのか、妙なエネルギーが地下でうごめいているのか、ともかく再びガクンと気温が下がる日があるはずでありまして、決して気をゆるめてはならないのであります。昨日の最高気温が21度くらい、今朝の最低気温が13度くらいでありまして、これはもう暖かすぎるのであります。

スノーフレークが咲きました。

昨日近所で咲いているのを見まして、うちに帰ってからスノーフレークのある所を眺めましたら、確かに小粒の花が咲いておりました。しかし、あまりに小さくて我が家のデジタルカメラはこれにピントが合わないのであります。ようやく合ったかと思って撮影しますと、スノーフレークの向こうのドクダミの葉っぱに焦点が合う始末でありまして、昨日紹介するのは断念したのであります。本日は、ちょっと花が大きくなりまして、裾模様の緑も明らかになりましたけれども、やはり拙者には接写は無理なようでありまして、御覧のような写真となった次第であります。こじゃれたテーカップのような趣でありまして、よくある高級な喫茶店などで、カウンターの後にずらりとカップを並べますけれども、そういう所にありそうなカップの形をしているのであります。見たことのない方は、こんな花があること自体を否定するだろうなと思われまして、私がはじめて見ました時は、誰かの悪戯だと思ったのであります。しかし、スイセンと同じでありまして、これもつぼみは今年は一つだけでありますので、ひょっとすると花が開くのはこれだけかも知れません。

   暖かいのにカナヘビの姿が見えないのでありまして、よもや絶滅?

「みなさーん」という呼びかけの言葉は、これはNHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』の大統領「ドン・ガバチョ」の得意な決めゼリフでありまして、懐かしさもひとしおであります。今はああいったはちゃめちゃな人形劇は見当たらないような気がしまして、むしろ外国映画の『トイ・ストーリー』などが影響を受けちゃいまいかというふうに思うのであります。なぜなら、『トイ・ストーリー』の二作目では人形が日本人に売られて行くという話でありまして、オモチャのキャラクターの稚拙な動きが、実は案外リアルで面白いと言うことは、どこかで『ひょっこりひょうたん島』を見てる人の思いつきではないかと感じるのであります。もちろん『サンダーバード』があったり、外国でも日本でも人形劇の歴史がありますか画像ら、自分の知っている作品を強引に結び付けて影響関係を言うのは愚かでありますが、何となく狭い範囲のコミュニティーという発想が似てるんじゃないかと思っただけであります。

スノーフレークの参考映像。

昔フォトライブラリーからダウンロードした写真でありますけれども、私の稚拙な写真よりは花の様子がよく分かりますので掲載してみることにしました。データは探せば見つかるはずでありますが、すべては忘却の彼方に沈んでおりまして、探すのも面倒でありますので、本来の撮影者の方に深く謝意を表するとともに、お名前を掲載しない不手際を深く深くお詫びしたいと思います。ところで、たぶん『ひょっこりひょうたん島』の時代というのは放映した番組を録画することが稀でありまして、ほとんど映像は残っていないはずなのであります。外国でビデオ録画の機会が開発されたのは結構早いらしいのですが、それは6畳間に収まらないほどの巨大な機器だったらしいのでありまして、そんなもので生放送の人形劇を撮影するはずがなかったようです。じゃあぶっつけ本番だったのかもしれません。ビクターが家庭用のビデオを開発したのは沖縄返還、日中国交回復の頃の話でありまして、1972年より後だと覚えておくといいかもしれません。もちろん、ビデオが家庭に浸透するのは1985年以降でありまして、最初はレンタルビデオ屋さんは、ソフトとともにハードも貸し出しておりまして、文字通り「レンタルビデオ屋」だったのであります。ソフトは普通の本棚二つに収まるくらいしかなかったはずで、私は自転車の荷台にビデオをゴム紐で結わえて自宅に運んだ経験があります。もちろん、視聴が終わったらお店に返却していたのであります。返さなかった人だっていたでしょうに。

   さてさて、三好達治の「桃の花さく」という詩を見つけましたが。

あれやこれや考えるべきことがたくさんあるようであります。たとえば、例の新潮文庫なんでありますけれども、初版は昭和26年(1951)でありますが、実はその後に出版された詩集などが入っておりまして、どうやら奥付にある昭和43年(画像1968)5月30日の第27刷改版というのが、私が見ている文庫版の出来た時のようであります。これだと、三好達治が亡くなった後のことでありまして、要するに昭和26年版は人気のある詩人の詩を在世中にまとめた物のようでありまして、昭和39年(1964)に没した後に増補改訂して生涯の詩を文庫に精選して載せたようであります。昔はそんなことがあったということでしょうか。

イチゴがどんどん開花してます。

「桃の花さく」という詩が載っていた『花筐』という詩集でありますが、どうもこの詩集は三好達治の疎開先でまとめられたようでありまして、戦時下によくまあ出版に漕ぎ着けたものであります。それが戦後間もない頃に新潮文庫で出たと言うことは、三好達治という詩人は戦争責任とかそういうこととは無縁だったのかも知れません。何も知らないのに書くなと叱られそうでありますが、別にこのブログは苦節何十年の成果を発表しているわけではないのでありまして、要するにこの詩人のあり方は太宰治なんかと似たものがありそうだと感じるわけです。ウィキペディアの三好達治の項目を見ますと、私生活に関して気になる情報が載っておりまして、戦時中でありますけれども、離婚したり結婚したりめまぐるしいのでありまして、そういう時期に詩集を編みまして世の中に問うているわけでありますから、実際世間はどのようにこの人の生活や作品を見ていたのか気になる所であります。教科書で見ると、何となく浮世離れした別世界の音楽を奏でるような詩人だったはずでありますが、世の中は軍事色の強い頃でありまして、それとはまったく隔絶してどろどろの人生模様を紡いでいたみたいであります。それと、この「桃の花さく」という詩は関係するのかしないのか。実は、戦争とリンクする解釈を思い付きまして、それとは別に私生活のどろどろとリンクする解釈も思い付いてしまったのであります。

   ともかく、勘ぐり過ぎてもいけないのでありまして、また考えて見ます。

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