The seventh day at spring equinox. 花の盛りは時正の後七日。(9)

近所の公園の桜であります。非常に見事な八重桜と思って見ているんでありますが、狭い敷地にありまして、後にケヤキの大木を背負っているものですから、見栄えがしないというか目だたないというか、これを観賞するのに適した場所がないのであります。もともとケヤキなどが生えている屋敷跡か何かを公園にしたのかも知れませんが、余裕のない画像サクラの植え方からして、きちんと計算されて作られた公園ではないのだろうと思うのであります。ただし、ここから100メートルほど離れた10本くらいの桜並木はばっさりと伐られてしまいまして、公園の樹木の中に隠れていたこの木は厄災をまぬがれたのであります。人生何があるか分からないのであります。

ヤエザクラの一つフゲンゾウ?

まあ、何と言いましょうか、いきなり誰かをつかまえて、これヤエザクラの一種なんだけど、たぶんフゲンゾウと言うんだ、と話しかけたとしまして、普通に会話が成立するような気がいたしません。だいたい半日前には知らなかったようなことを、知ったかぶりして言うのもどうかというようなことでありまして、気が咎めます。サクラにたくさんの種類があると聞かされただけでびっくりでありまして、ソメイヨシノがあって、しだれ桜があって、山桜があるくらいなものでありまして、ヤエザクラにはとんと縁がなく、そのヤエザクラにさらに種類があるって言われましても、めんくらうばかりなのであります。本日は、去年も注目した公園のヤエザクラを下から見上げましたが、これがいつかの「源平桃?」と似ておりまして、紅が濃いものと白いものの混じった状態でありまして、一瞬「源平桜?」などと考え込むわけでありますが、実はフゲンゾウ(普賢象)という種類は、最初が色が濃くて次第に白くなるそうでありまして、なるほど別に二色あるわけではないようであります。めしべに特徴があるそうでありますから、明日はさらに接近しまして証拠を捉えることといたします。でも、花盗人と間違えられないように充分気をつけて行動いたします。

   白波の 名をば立つとも 吉野川 花ゆゑ沈む 身をば恨みじ(禅師隆尊)

この歌の上の句をグーグル検索に掛けようと思いまして、「高原のテラスで十二ヶ月」というタイトルもついでに加えましたら、自分のブログが出て参りまして、どこかに書きしたためたけれどもどこに書いたか分からないと言う時は、ブログ内で当てずっぽうに探すよりも検索をかけた方が手っとり早いのであります。東国で花を折りましたら捕まってしまったんでありますが、歌を詠んだら許されたという画像和歌説話でありまして、『沙石集』巻五にあるなかなかユニークな説話なのでありまして、主人公は禅師隆尊とありまして、どうやら藤原家隆という歌人の息子でありますから、和歌はお手の物だったのであります。「泥棒って言われても構わない、桜を折って捕まるなら後悔はしない」という歌でありまして、ちゃんと肝の据わったなかなかのお坊さんでありますし、修辞技法はバッチリなのであります。

真下からヤエザクラを眺めます。

大和の国の桜の名所吉野を流れる吉野川を歌枕として使いまして、「白波」「立つ」「吉野川」、さらに「沈む」「浦見」と川や波に関する縁語が散りばめられているのであります。このうち、「白波」は中国の古典から来た隠語のようなものでありまして、泥棒というか盗人を指すわけです。「吉野川」のところには、「良し」という感動詞が隠れておりまして、これは「ええい、構うもんか」という言葉でありますが、現代にだって残っておりまして、故田中角栄元総理の口癖は「よっしゃ、よっしゃ」というものですが、今だって赤ちゃんが泣いたら「よしよし、よしよし」と言うのであります。「構わないよ、いいんだよ、後はどうにかしておくよ」というような言葉のはずです。「恨み」というのは、これは現代と活用がちょっと違っておりまして、意味も少しずれるのであります。「後悔する」とか「反省する」というような知的な思考をめぐらして何事かを断念する時に使う言葉であります。京都の坊さんが東国のなまりになまった野蛮な人達に追いかけられまして、観念した時に教養がにじみ出たわけでありまして、きっとお経で鍛えたバリトンの渋い声でアカペラを試みたのでありましょう。つかまえた代表者は「地頭」とありまして、村長さんクラスの人なんですが、歌を詠んだと聞いて「縄なんかかけなくていいよ」と家来に言いまして、下にも置かないもてなしをしたそうであります。鎌倉時代にだって世の中には倫理がありまして、人を簡単にあやめるどころか、遠来の客を丁重にもてなしていたのであります。『沙石集』というのは、そういう美談を集めた説話集だったはずです。

   さてさて、例の『徒然草』の第161段でありますが、どんなものでありましょう。

1年というのは、太陽暦で計算するとだいたい365日でありますが、4年で1日余分に加えないとまずいのであります。おそらく、計算上は地球は太陽の周りを、365・25日で回転しているはずでありまして、まあ誰でも知っていることであります。だとすると、冬至から夏至までが、ちょうど半分になるはずですから、182・625日くらいでありまして、さらに冬至から春分、春分から夏至、夏至から秋分、書くのも馬鹿馬鹿しいのですが秋分から冬至まで、だいたい91・3125日であり画像まして、この切り方で91日ずつ冬・春・夏・秋と決めちゃっても構わないかも知れません。甲子園の選抜高校野球のキャッチフレーズは「春はセンバツから!」でありますし、「暑さ寒さも彼岸まで」とも言うのであります。気温の側面から見ると、冬至から春分までが寒いわけでありまして、桜というのは春を告げて咲く花でありますから毎年注目されるわけであります。

公園のツツジは満開です。

それにしても、冬至から150日と言うのは随分大きく出たものでありまして、夏至の一ヶ月前と言うのに等しいわけでありまして、いくら何でも5月20日前後で桜が満開というのは納得のいかないところであります。その当時そんな見立てがあったとして、実際の指標としてはほとんど使えない言葉でありますから、「百五十日」という部分に誤写を考えると言うのも分からないでもないのであります。「百五十」を「百十五」というのは書写する人によってはうっかりするかも知れないのでありますが、かなり間抜けな書写をしたことになるでしょう。一説には、「百五十」を「百五・十」とみなして、これは「百五~百十」の意味であるとするのもありまして、こういうトリックのような解釈になると、気持ちは分かりますが随分無理がある感じであります。どう考えても「105から110」の意味であるとするのは苦しいわけであります。ともかく、最終的に兼好法師が推奨している「立春から75日」説を際立たせるための文言なら、変な言い伝えならいくらでも変でかまわないかと思うんですが、いかがでありましょう。

   去年よりもヤエザクラの開花やツツジの開花が10日以上早いようであります

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