Mt.Fuji is a World Heritage site.富士山は世界遺産。(8)

身近なところに1200年とか1000年とか、何だか気が遠くなるような長い時間を生きてきた植物を見まして、驚いてしまうと言うかびっくりするわけです。びっくりしていて、私の中の子供の部分は地面をぴょんぴょん跳ねて踊り狂うわけですが、実際の老体は足腰にはがたが来ていて、体重も重くなり、筋肉もまったく鍛えておりませんから、その場で苦虫を噛みつぶしたような表情をするだけではないかと、自分のことながら傍目を心配するわけです。長寿の植物は1200年・1000年変わらぬ姿で葉を茂らせ花を咲かせているでしょうに。人間はどう頑張っても120年くらいまでが限界でありまし画像て、一個体がどんなに養生を重ねようとも150年には届かないということのようであります。それより何より、40歳を過ぎたらぼろぼろであります。ただ、草木だって枯れるものは半年くらいで枯れまして、動物に食べられたらそれきりであります。圧倒的な数の力で生き残るのかも知れませんが、フジ(藤)やカヤ(榧)には長寿を保つメカニズムが備わっていて、100年も経つとなかなか死なない秘密を持っていそうであります。

昨日今年初収穫のイチゴ。

今年もイチゴの季節がやって来ましたけれども、去年よりは少し早いのであります。ただし、気温の方は大したことが無いのでありまして、たぶんゴールデンウィークとしては低めではないかという気がするのであります。この地の昨日の最高気温は午後2時の23・2度、今朝の最低気温は午前5時の10・5度でありまして、これを気象庁発表の1981年から2010年までの30年平均に比較すると最高気温は0・8度高いんでありますが、最低気温は1・6度低いわけでありまして、昨日あれだけ好天に恵まれてもさほど気温は上昇しなかったのであります。昨日暑く感じたのは、ここまでが寒かったからであります。太陽の四極化という状態が去年から始まったはずでありまして、ひょっとすると今年は涼しい夏になるのかも知れません。ただし、分かって言っているわけでもありませんので、後で暑い夏になっても私の責任ではありません。桜は早く咲きましたから、どの植物も開花が早めでありますが、ここのところの低温によってこの先はブレーキが掛かることでしょう。去年は最初のイチゴの後に間が開き、しばらくしてからわんさか花が咲きまして大収穫となりましたが、今年はこのままお茶碗一杯くらいの収穫で終わりそうであります。

   連作をするとなかなか植物が育たないという話もありますから、さて何を植えましょう。

3年前、すなわち東日本大震災の来る前年でありますが、家庭菜園にせっかくだからとナスにピーマン、キュウリというような、園芸店で大量に並ぶものを、我が家も試そうと植えてみたわけであります。一番実り豊かだったのはプチトマトでありまして、これは鈴なりにできたのであります。私は食べましたが、家族は地面から生えたのなんか嫌だと言うようなあり得ない理屈で食べないのでありました。青臭いって言ってましたが、もともとそう言うものでしょうに。ナスは花は画像咲きましたが、ろくに実を付けなかったのでありまして、ピーマンも最初だけでありまして、夏の暑さに負けましてキュウリなどはシーズンの終わりには乾涸らびて情けない有様でした。秋には大根を植えてみたんですが、この家庭菜園は晩秋から太陽が射さない位置にあるのでありまして、日照不足で貧弱な大根を数本冬至の頃に地面から引き抜きまして調理しましたが、お味噌汁一回分にしかならなかったのであります。

本日収穫出来そうな小粒のイチゴ。

家庭菜園とは別にシイタケ栽培を試みまして、買ってきてすぐに5、6個収穫出来ましたので大喜びをしてそのことはこのブログでも紹介していたのでありますが、例の放射能騒ぎでありまして、その後庭のホダ木を見てみたら、異様な形状の巨大なシイタケが育っておりまして、恐怖に打ち震えながらホダ木ごと処分いたしました。子供の頃に、故郷の我が家でシイタケ栽培を取り入れたことがありましたので、それなりにいろんな形のシイタケがあると言うのは知っておりましたが、それを超える大きさとグロテスクな形ですから、放射能とは関係なかったかも知れませんが、食べるのをやむなく断念したのであります。その後、福島で野菜を自家消費している人から高い放射能被曝が報告されましたので、影響の少ないところであっても2011年の露地物を控えたのは賢明だったかも知れません。

   さて、書店で角川書店発行の『校本智恵子抄』という文庫を見付けました。

この10年くらい、漫然と本屋の棚の前をうろつくという習慣がなくなりまして、買いたい本、買うべき本、そう言うものは決まっておりまして、新本が欲しい場合は本屋さんにまっしぐらで目当ての本を書棚から引き抜き買ってくるわけです。画像古本で構わない場合は、これはオークションだとかアマゾンコムだとかを探してみたり、古本屋を回るわけですが、『智恵子抄』なんて気にも留めていないので、延々と出版されていても過去の遺物として無視してきたはずであります。どうもこの詩集には編集にまつわって確執があったと知りますと、がぜん面白く感じまして今回普段行かない本屋の棚にこれを発見して早速購入してみました。

中村稔編『校本智恵子抄』。

高村光太郎さんの没後50年を経過しましたので、もう著作権はないというようなことですが、文庫で出すような場合はどうなるのか気になるところです。この文庫は、平成11年(1999)1月25日初版発行とありますけれども、買って来たものは平成24年(2012)5月20日5版発行と記してあるのであります。しかし、たかが廉価版の文庫で「校本」と銘打つのも異常でありまして、なぜならそれは専門用語のはずだからであります。「校本」とあれば、それは2万円や3万円の値が付く貴重書が当たり前のはずなのであります。たぶん。「校本」を作らざるを得ないのは、例の龍星閣版が改訂を繰り返して内容が違う本が出回っているということや、さらに著者と編者で著作権問題が発生して裁判になったりしたために、どうしても決定版を作る必要に迫られたというような事情もあるようです。きっと、すったもんだしたんでありましょう。龍星閣版の最終版のまま出したのではこれはこれで訴えられかねないという気兼ねもあるはずで、著名なベストセラーだけになかなか問題は複雑でありまして、よって中村稔さんは龍星閣版には誤植が多いのだというようなことを解説で詳しく述べているのであります。詩人が最初からこのタイトルで詩集を編んだのではないという原点の問題が尾を引いておりまして、どうやら東京の空は智恵子の言う通り本当の空ではないのだなと思わざるを得ないようであります。

   関係者がみんな善人で純粋でも、事柄はもつれにもつれ事件となることもあるのです。

  

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