Chieko has already gone to sleep. 智恵子は寝た。(8)

今朝の最低気温が、午前5時の21・6度でありまして、さわやかにして涼しいというような理想的な気温であります。そこで、早起きを敢行しまして、家庭菜園の手入れにいそしんでみたわけでありまして、庭に直射日光が射す前までに、支柱を立ててキュウリの蔓を結束バンドで結び付けまして、キュウリの収穫を目論んでいるのであります。今年購入し画像た苗は、キュウリに関してはたった2株でありまして、それでもうすでに10本くらいのキュウリをゲットしまして、貧弱なものはすぐにしなびれてしまいましたが、大きなものなどは何日分かになりまして、食卓を賑わせたのであります。今朝見ると、支柱に巻き付いたものにキュウリがぶら下がっておりまして、それならと地面を這っていた蔓も支柱に結び付けた次第です。

次なるキュウリ豊饒の予感であります。

3年前に喜び勇んで家庭菜園を展開しましたが、素人の悲しさ、支柱を立てるとか、結束バンドを使うとか、そういうことをまったく忘れていたのであります。几帳面な質でありますから、3年前の支柱も結束バンドもちゃんと保管しておいたんですが、それを引っ張り出して使うわけです。トマトとキュウリが一度茂った段階で支柱を5本くらい立てたのでありますが、その後3倍くらいに茂っても忘れているわけでありまして、農家の手際のよさの対極にあるような物ぐさなのであります。ようやく支柱を追加しまして、キュウリを空中でぶら下げようとするわけでありまして、ぶら下げたからと言ってまっすぐに育つわけでもないのであります。ただし、収穫は楽ちんでありますし、土まみれにもなりませんし、地面に接して白い表皮になるのも避けられるのであります。

   さて、『智恵子抄』を読み続けておりますが、「鯰」という詩の話であります。

高村光太郎が夜なべで彫刻をしているというのが、この詩の背景でありまして、どうやらアトリエには盥に入った鯰が飼われているようでありまして、それを観察しながら、鯰の彫刻を造っているのでありましょう。できあがった作品は、画像今でもどこかに収蔵されているはずであります。もちろん、光太郎は根っからのプロの彫刻家でありますから、気に入る作品ができるまで、次から次と檜の木片を削っては捨て、削っては捨てしたことでありましょう。「夜が更けると小刀の刃が冴える。」とありまして、ひょっとすると昼間は父の光雲から回ってくる仕事をこなしまして、夜になってから自分の作品にとりかかるはずで、そうなると集中力が増すのかも知れません。

キュウリの黄色い花と生まれたての実。

この詩は、大正15年(1926)2月5日でありまして、この日付を見ると「鯰」が素材に選ばれている理由が分かるような気がいたします。もちろん、大正12年(1923)9月1日の関東大震災から3年と経たない頃でありまして、おそらく復興中の東京都下では人々の家々に鯰が飼われまして、次なる地震をそんなもので予知しようと人々はすがる思いで、毎日鯰を見張っていた頃でありましょう。それなら、ということで高村光太郎が、この彫刻になりそうもない鯰を相手に、鯰らしさを追究して彫り上げようとしていたことが偲ばれるのであります。「智恵子は貧におどろかない、」「智恵子は寝た。」という一節が詩の中に挟み込まれておりまして、彫刻家のアトリエを取り巻く環境の劣化と、真冬に夜なべを辞さない光太郎をそのままに智恵子が就寝した状況が分かるわけです。大震災の後、光太郎は福島二本松の智恵子の実家の酒を仕入れまして、その「花霞」というお酒を震災後の東京で売り出すというような、ある意味慈善事業のような、その実やけくそな商売に手を出したりしたそうであります。詩が描くのはその後の貧であり、40を迎えた智恵子の存在感なのであります。
 
   光太郎は智恵子の年齢を知らず、娘くらいだと思っているのであります。

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