He took her small fan.涙をゆるしたまへ。(9)

去年から引き続いて『智恵子抄』を読んでおりますが、テキストは角川文庫の中村稔編『校本智恵子抄』でありまして、『智恵子抄』初版の「完全版」という部分を読み終えまして、文庫本としては半分を過ぎたあたりであります。初版と言うのは、龍星閣という出版社から出たものを指すのでありますけれども、これは誤植があったり、作者の高村光太郎が手を入れたり、いろいろ変遷を経ていたらしく、編者があれこれを考察して戦前刊行された中から画像初版第八刷を底本にして提供したものが角川文庫本とのことなのです。原稿を活字に起こして印刷し刊行するという作業の中に、校正する、校訂する、改作するというような流動的な部分がありまして、出来上がったら手書きの原稿とはまるで違うものが紛れ込んだりするということがあったというわけであります。もうちょっと言葉を付け加えるなら、傍目には同じものだからこそ、微細な違いが重大だといういうことでもあります。

ビオラ? パンジー? スミレでしょ。

さて、『智恵子抄』初版に高村光太郎さんが選ばなかった智恵子関係の詩があったようでありまして、それが今は文庫本で見ることができるわけであります。初版の『智恵子抄』とそれにもれた詩が並んでいて両方見られるという状況について、高村光太郎さんはどう思うのか、などと文学的に物を考えてしまいそうであります。故人は死後に自分を取り巻く一切合切のことにはもはや責任はないのでありますが、『智恵子抄』だけで済ませたかったという故人の意志は、『智恵子抄』の裏も知りたいという後世の興味関心の前では踏みにじられる運命にあったということであります。ともかく、補遺編の最初の詩は、「涙」という詩でありまして、これは大正元年の八月に作られた詩であると、補遺編の作品年表に指摘してあります。この詩では世間の人が何事かに悩み涙しているという状況がしたためてありまして、どうやらこれは明治天皇の崩御のことのようです。日本の近代化を推し進めるうえで、明治天皇と言う象徴は非常に重要な地位を占めたのでありまして、明治天皇の崩御に際して乃木希典大将が殉じたのは有名な話であります。この結果乃木希典さんは神様としてまつられることになったわけですが、ともかく乃木希典大将だけではなく、多くの人が衝撃を受けたのは結構よく聞く話であります。ところが、高村光太郎と智恵子のカップルにとっては人生の一大事、熱い恋に燃え上っている時期でありまして、二人は松本楼で氷を食べながら愛情を募らせ、街角で抱擁を繰り返しまして、智恵子嬢は涙ぐんだりしたというのであります。世間と乖離して若者が恋を語らったのに、結果的には世間と一緒に悩んだり泣いたりしているように見えるという、不思議なコラボレーションを謳った、ある意味不謹慎な詩であったわけで、削られたのも当然と言えば当然。しかしながら、時代を考えると、非常に面白い詩でもあるわけです。女の子が泣くのは口づけをしたためでありましょう。

  彼女の手にした扇を奪ったとありまして、これは顔を隠すアイテムを取り上げたようです。

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