Burn coal! 泥を凍らせてはいけない。(7)

このところ天気予報はもうテレビには頼っていないのでありまして、必要があるときはネットでウェザーニュースを見ることにしております。日が傾きまして寒くなりましたので、先ほどストーブのスイッチを付けまして、ようやく体が緩む感じでありまして、風邪をひくところでありました。窓際で日向ぼっこしていた間はよかったんですが、昼寝の間に寝ていたソファーが日陰になってしまいまして、ぞくぞくしてしまったのであります。もうちょっと、しっかり暗くなるまで暖房は付けたくなかったんでありますが、軟弱なものでありますから、マフラーをちょいと首に巻きまして、ついでにカルピスから出ているショウガの飲み物を熱湯で作り、トーストも焼いて、さらにストーブを点けてしまったという塩梅なのであります。ところで、そのウェザーニュースの実況天気データを覗いてみたら、一瞬のことでありますが、気温の変化のグラフが急激な右勾配を示しまして、えええ、嘘画像だろ、今日は暑いのか、と錯覚しました。そんなことはありません。グラフの下はマイナス5度、グラフの上はプラスの5度、そして本日の最低気温は明け方のマイナス3・1度、最高気温は私が昼寝をしてたぶん大いびきをかいていたプラスの3・7度でありまして、本日は強烈に寒い一日だったのであります。むしろ、暖房を数時間消していたことを賞賛されてもいいくらいであります。夕方から夜にかけて、氷点下に下がってゆくのは目に見えております。

松の葉に 降る白雪や 春遠し(粗忽)

トイレに掛けたカレンダーに、二十四節気をより詳しくした七十二候というものが掲載されておりまして、何となくうっとしいというか、ことさらな教養の押し付けであります。それよりかは寝室の本棚の脇にこっそりかけてある『御教訓カレンダー』のほうが私の趣味でありまして、よっぽどそっちのほうが頭の体操にはうってつけであります。そう言えば、二十四節気のことを追及した学術書があったはずでありまして、せっかく買ったのにしまい込んでいて一行も読んでいなかったのに、ふと思い当りました。風間書房という出版社から出ている『平安朝文学に見る二元的四季観』という本でありまして、著者の田中新一さんは愛知教育大学の名誉教授だった方ですが、5年くらい前に亡くなっております。本の奥付を見ると、本の値段が4944円とでておりまして、本体価格は4800円ですから、消費税が3%だった時代の刊行であります。平成2年(1990)4月20日発行とありますので、天皇の代替わりがあってバブル景気もまだまだ華やかだったころに出た、しかしながら非常に地味な分野の目の付け所の冴えた一冊だったんじゃないでしょうか。Amazoncomで見たら古本で1500円くらいで買える本であります。この本の序文で、田中新一さんは明治5年(1872)の新暦採用と昭和24年(1949)の年齢の数え方の変更によって、旧暦の太陰太陽暦や過去の年齢の数え方である「数え年」が、あと20年もしたら訳が分からなくなるんじゃないかと予言しておりますが、おっしゃる通り田中新一さんの子供の世代・教え子世代であるはずの私なんかも、まったく新暦になじみ誕生日で加齢する方式が当たり前でありまして、それ以外のありかたを理解しようなんてちっとも思っていないのであります。

   真冬に「立春」だよって言われても、正月に「お年玉」って言われても、何のことやら分かりません。

ともかく、書棚の奥にしまっておいた本でありますから、ちょっと目を通して見ましたけれども、なるほど面白いことが書いてありまして、二十四節気というものが文学の世界で珍重されたのはほんの短い期間でありまして、それが話題になり意味があったのは、平安時代の半ばあたりでありまして、古典の作品だと『古今集』から『源氏物語』なのでありますが、必ずしも深く浸透して生活全般に影響を与えていたわけでもないようなのであります。どうやら、奈良時代に中国から吉備真備が新しい暦を持ち込みまして、そこに二十四節気が絡んでいたらしいのであります。これを勉強したのが画像大伴家持らしくて、だから古代の書物には見当たらない二十四節気がらみの和歌が、『万葉集』の大伴家持の歌には見出せるらしいのであります。漢詩人にして歌人でもあった菅原道真公が、二十四節気を詩に読んだ白楽天の影響で詩作しまして、それを紀貫之なんかの歌人に吹き込んだんだというのが、田中新一さんの指摘であります。「年の内に春は来にけりひととせを去年とや言はん今年とや言はん」という歌を、二十四節気がらみの歌として見事に解説なさっております。

雪の朝 キャンディタフト 凛として(粗忽)

紀貫之の頃には、太陰太陽暦が非常に意識されまして、例えば暦の上での「正月・二月・三月」が春だという意識が強烈に有ったそうなのです。ただし、月の運行に従って作られる太陰暦は3年に一度は閏月があって、現実の生活には使えなかったわけです。これを補正するのが太陽暦の申し子である二十四節気でありまして、立春から立夏の前日までを春とする節気は安定感があったわけであります。歌人たちは、この二つの尺度の間で右往左往したわけで、それは新暦を使いながら旧暦の二十四節気をありがたがる私たちと実は非常によく似ているのであります。ただし、そんな歌人は平安時代の後期に至れば絶滅いたしますし、暦のことなんかあまり気にしないという清少納言のような人もいまして、二十四節気を気にしていたのは長い日本の歴史からするとほんの短い期間だったらしいのであります。二十四節気を紀貫之なんかが気にしていたのには理由があるんですが、それは春と秋をものすごく偏愛するところから来ているらしいと田中新一先生は解き明かしておりまして、これは目から鱗がしっかり落ちるのであります。その点清少納言なんかは春夏秋冬を均等に扱うわけでありまして、どの時代にもいろんな趣味趣向の人がいるということなのであります。

  昨日の立春は、旧暦では1月5日でありまして、年が明けてからの立春だったのであります。

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