If there is no public notice. 抱き来ましを。(8)

この24時間で気温は氷点下に下がることはなかったようでありまして。昼間なんかポカポカ陽気のような気分でありましたが、実はこのあたりで7・7度が最高ですから、とびきり寒い一日だったのであります。しかし、昨日の昼間は氷点下でありましたから、それからしたら太陽が顔を出して雪は融けて暖かな春を思わせる天気だったわけであります。人は順応しますので、昨日より今日が暖かければ春を予感したりするわけで、このあたりに二十四節気画像の「立春」の仕掛けがあるのかもしれません。「大寒」という極寒の時期を過ぎたら、もう体は慣れてしまっていますから、ちょっとしたことで春を意識し、ぬくもりに感謝するというような心持になってしまうのでありましょう。だとすれば「立秋」なんかも同じ仕掛けでありまして、人というのはいろんなことを相対関係によって認識していくということのようです。

雪の下から救出したローズマリー。

軒下に二本のローズマリーがありましたが、どうも種類が違うようであります。くすんだ緑のローズマリーが西にありまして、東に鮮やかな緑のローズマリーが控えているのであります。45センチくらいの大雪ですから、夜半から屋根の雪が容赦なく落ちまして、その結果軒下のローズマリーを直撃していたのであります。ところが、どうしたわけか西側のローズマリーが落雪をものともせずに起き上がりまして、大いにその生命力に感動したんですが、近寄って見てみたら、その隣で屋根から落ちた重い雪にうずもれて瀕死のもう一本のローズマリーを発見しまして、大慌てで雪を掻き出し、せっせと救出したのであります。その甲斐あって、しばらくしたら再び枝が天を目指して直立しまして、ほっておいたら枝は折れ、氷に閉じ込められて枯死したかもしれないのであります。ローズマリーの隣には、例のイヌツゲの下から掘り起こして日当りのいいところに移しておいた水仙がありまして、これも軒下の落雪の下でありましたが、ドウダンツツジの枯葉で包んでおいたおかげで、芽がつぶれるような大事には至らなかったのであります。

  山坂の 道し遠けど 人目なくば 抱き来ましを 都の智恵子(高村光太郎)

角川文庫の『校本智恵子抄』をマイペースで読んでおりまして、今は初版の『智恵子抄』から漏れたものを集めた補遺編を読み進めているのであります。補遺編の七番目は短歌が一首だけ載せてありまして、これは大正13年の短歌なのであります。初版には「うた六首」というものがあるんですが、これから省いたものかもしれません。大正13年の高村光太郎は、年譜によれば42歳でありまして、彫刻にいそしみましてなかなか味のある作品を残し、連れ合いの智恵子さんも健康を維持しておりまして、前年の関東大震災の余燼の中で暮らしてはいたんでしょうが、二人とも充実していた時期のようであります。まだ、狂気の気配のない智恵子さんでありまして、そうすると、この歌の「都の智恵子」というのが何とも中途半端な感じでありまして、どこか遠くに旅に出て愛妻を想うというだけの凡作であります。表現も古めかしいのでありまして、間投助詞の「し」、「遠けれど」とあるべきところを、なんとなく俗語で処理した「遠けど」、「なかったら」という仮定条件を表す古い語法「なくば」、そして「いだきくる」という動詞の未然形「いだきこ」に反実仮想の助動詞「まし」という具合でありまして、要するにできそこないの文語による愛妻家のつまらない感懐をこめた歌であります。もちろん、智恵子さんが狂気にからめとられて療養しているという、後年の状況を考えたら違って読めますが、そりゃだめだ、嘘になると判断する力が光太郎さんにはあったということでしょう。

   裏返せば、「東京に 智恵子置き来て 何よりぞ 人目包まず 吾休む坂」という心境のはず。

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