My wife liked green tea. 千羽鶴を折ってゐる。(8)

いいニュースと悪いニュースがあるんですが、どちらをお話ししましょうか。はいはい、いいニュースは簡単でありまして、スコップはあるべきところにありました。ちゃんと道具は家の裏に一まとめしてあるんですが、土で汚れたり濡れたりしている場合は、自転車置き場の屋根の柱に立てかけているのでありまして、今日の昼間に見てみたら、そこにちゃんとあるではありませんか。盗まれたと思ったのは、夕方の暗がりの中で一度ないと思い込んだ末の疑心暗鬼のなせる業でありましょう。あるべき場所に無いと思い込むと、探し物というのは非常に困難になるわけ画像でありまして、肝に銘じて最初に入念にあるべき場所を探索する習慣をつけておくに限ります。一度雪用のスコップを盗まれたことによって、トラウマしているわけでありまして、心の傷というのはなかなか癒えないものなのであります。

ローズマリーは雪の下の下の下。

さて、高村光太郎さんの書いた詩をずっと読み続けておりますが、テキストは角川文庫の『校本智恵子抄』でありまして、その補遺編を読み進めているのであります。初版の『智恵子抄』に入れそうであったのに、結局入れなかったものを見ているんですが、どうやら智恵子さん関係の詩の内、3分の2くらいは初版に入れましたけれども、3分の1は省いたようでありまして、6編の詩と一首の短歌はすでに読みましたが、なるほどよくないものとして省いただけのことはありまして、その選択には敬意を表してよさそうであります。文章が5編付いておりまして、その最初が「新茶の幻想」という文章であります。文章の中に「五月の幻想曲」とでも題するような詩が引用されておりますが、これは智恵子さんとは特に関係ない、五月の到来を喜ぶ光太郎さんの気持ちが書いてありまして、その詩の最後が「ほんとにもう五月だね/新茶のはしりがもう出たね」という句で結ばれているのであります。光太郎さんはおじいさん子であったはずで、要するに江戸時代の人の暮らしぶりが身についているわけで、新茶を喜ぶ人だったと分かるわけです。文章のほうは、昭和10年(1935)5月に書かれたもので、智恵子さんがゼームス坂病院に入院した直後に書かれたもので、智恵子さんもお茶が好きだったというようなことが少しだけ書かれております。父の高村光雲からもらったお茶の話が書いてあるんですが、宇治の「碧乳」というお茶の話題があるのでありますけれども、これを光太郎さんは「玉露」だと言っているんですが、いまネットで調べると、この「碧乳」というお茶は碧翠園というお茶屋さんの「抹茶入り煎茶」の銘柄であります。光太郎さんが間違えたのか、お茶屋さんが銘柄の内容を変えたのかについては、にわかに分かりません。

  大好きだった五月ですが、昭和9年の5月に智恵子さんが狂人となったので、五月はつらいと嘆きます。

  

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