"One-Sheet Document"真実がわたくしをうちました。(8)

『智恵子抄』というのは、もちろん詩集でありますが、実は私にとっては詩集でも何でもないのであります。あれは子供のころにテレビから流れてきた歌謡曲でありまして、「♪東京の空、灰色の空、ほんとの空が、見たいという」というような部分によって、都会と田舎、進歩と停滞、雑踏と自然、そう言ったものが子供心に意識されまして、歌い手さんのか細い声質と相まって稲妻よりも早く何事かをこの幼稚な脳みそに叩きこんだのであります。よって、のちのちそれが高村光太郎の奥さんである智恵子さんのことだとか、智恵子さんは福島県の二本松出身の人だとかということを聞かされましても、分かった分かった、よく知っております、「ほんとの空」の人だと思ったわけで、もはやあの歌謡曲以後は『智恵子抄』は世間においては消化済みの食べ物でありまして、もう一度眺めてみたい、もう一度対象として意識したい、要するに嘔吐物にしてまで見たくもないものとなったのであります。よいものは、売れに売れて世間に蔓延してはいけないのでありまして、人気を博して大衆化したら、誤解され敬遠され貶められると思っていたらいいのであります。高村光太郎さんにとっての智恵子さんというのは、これはもう芸術家たる自分のために出現した女神でありまして、彼女のために制作し、彼女に批評してもらって芸術が完結するものだったよ画像うでありまして、ものすごい幸福を味わったのでありますが、その女神さまが狂気に冒され、やがて没するに及んで、この芸術家はダメージを受け深い喪失感にさいなまされたのであります。そのことも包み隠さず詩にしたことによって、この詩集は凡庸を突き破って突出するわけでありますが、そのことは歌謡曲では巧妙に避けられていたわけで、ここに有名になることの罠が潜んでいると言えそうであります。

ニラが家庭菜園に生えだしました。

ニラは、「ガーリックチャイブ」という名前で売られていたりしまして、その場合はハーブの一種としての扱いであります。白い清楚な花が咲きまして結構見ごたえがありますけれども、種がしっかりできまして、繁殖するのではないかという期待を持たせますが、実は勝手に広がったりはしないのであります。その代り一度根付いた場所で翌年もしっかりと芽を出しまして、たぶんハーブ類の特徴の一つなんでしょうけれども、消滅もしないし無駄に繁殖もしないのであります。節度を守って強靭でありまして、人生のお手本のような植物たちなのであります。ニラもまた同じでありまして、この一日二日で急に芽を吹き地面から姿を現しました。さて、明治時代に東京に生まれた高村光太郎さんは、彫刻家になるべく父の高村光雲さんに薫陶を受け、明治末期には洋行を果たしまして、新進気鋭の芸術家として大正時代を過ごしたのであります。関東大震災では、アトリエは倒壊を免れまして被災者を迎え入れたりしまして、妻の智恵子さんともども獅子奮迅の活躍だったようであります。昭和になって妻が狂気を発しまして、やがて昭和13年(1938)に結核によってその愛妻が亡くなり、昭和16年(1941)に妻に関する詩を集めまして『智恵子抄』を世に出したわけです。日本は太平洋戦争に突入し、終戦前の昭和20年4月13日の空襲によって東京の駒込にあったアトリエは消滅、光太郎さんは岩手県花巻の宮沢賢治の実家に疎開して終戦を迎えたのであります。角川文庫の『校本智恵子抄』には、『智恵子抄』以後として、終戦後の智恵子さんにかかわる詩文が掲載されておりまして、その後の光太郎さんの亡き妻に対する心情を知ることができる仕掛けになっております。最初の詩は、昭和20年10月5日下書きという「松庵寺」という詩であります。光太郎さんの居た花巻も戦災に遭いまして焼け出され、同じく焼けてしまった松庵寺は、物置小屋をお堂として復活しようとしておりまして、光太郎さんは住職の読む「一枚起請文」に触発されて智恵子さんを想います。

   松庵寺は浄土宗ですから、これは浄土宗開祖の法然の入滅直前の「一枚起請文」でありましょう。

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