Reporting is hard.日本の外形は変りました。(8)

期待したほど気温が上がらない一日だったのでありまして、最高気温はこの地で13度に届かないくらいであります。それでも午後6時で10度をかろうじて上回っておりまして、寒くてしょうがないというほどではないのでありますが、しっかりストーブを焚きまして、それなりに暖かい夕方を過ごしているところであります。いくつか楽しみにしているブログがありまして、ひとつは古い歌謡曲のある分野を収集しているレコードコレクターのものでありまして、私なんかよりは少し年上の方でありまして、この数年の間に健康を害したり、母上の介護をして身まかるのを見送った画像り、その合間に風変わりな本業にいそしみ、若いころに手を染めた漫画なんかを描いたり、なかなか多趣味の方であります。最近になってレコードから録音してデジタル化できるようなプレーヤーを手に入れたそうですが、その結果集めることから聴くほうへと生活の方向が変化しそうなのだそうであります。残り僅かの余命をどこに注ぐかというのは結構大問題でありましょう。

ユキヤナギの花が開きはじめました。

我が家のユキヤナギは軒端近くにあったんでありますが、通路に面していて、年に二回くらい剪定されていたのであります。そうしないと歩くのに邪魔だったんでありますけれども、ユキヤナギというのは伸び放題の枝に沿って花がこぼれんばかりに咲くのがいいのでありまして、これをいつもいつも剪定して短くしているというのは、何となくむなしい作業でありまして、これまた一念発起してユキヤナギの移植計画を立てたのであります。実はおととしにもチャレンジしようとしたんですが、ユキヤナギの周囲にスコップを入れてもびくともしないのであります。どうも大きな根っこが中央に居座っているようで、それがユキヤナギのものなのか、それともほかの樹木のものなのか分からないという有様でした。直径が5㎝をこえて7㎝くらいありましたので、とてもユキヤナギのものとも思えず、それがどれくらい根を張っているものなのか不明なのでありました。去年の晩秋に取り掛かるときには、とにかく周囲から大きく掘り進めようと決めまして、直径80㎝くらいの穴を掘るつもりで攻略にかかりまして、さすがにそれだけ広範囲に掘り進めますと深さも結構深くなりますので、やがてぐらりと根っこが動きまして、ユキヤナギを掘り起こせたのであります。中央の根っこはやはりユキヤナギのもので、人間の頭蓋骨くらいの塊になっておりまして、周囲に若いユキヤナギの根っこが絡まっているような状態でありました。真ん中はもう朽ちかけておりましたので、これは外しますと細い根っこを持つ枝が20本くらいでありまして、これを二手に分けて日当りのいいところに植えまして、越冬サバイバルを狙ったのであります。両方とも新芽が芽吹きましたが、やはり条件の良い方が先にご覧のとおり咲き出したのであります。

   今年からは剪定の必要のない場所ですから、今年咲いて枝を伸ばし、来年は思う存分咲き給え。

さて、高村光太郎さんの智恵子さん関係の詩が収録されている『校本智恵子抄』(角川文庫)を読み進めておりますが、昭和21年(1946)10月5日下書きとある「報告」と題する詩について何か言いたいのでありますが、どうにも困ってしまいまして、読めば意味は分かるんですが、どこまで詩の内容を受け止めてよいのやら、困惑するばかりなのです。智恵子さんが亡くなったのは、昭和13年(1938)10月5日でありますから、ちょうど命日の日の詩でありまして、ここまでの流れだと光太郎さんは宗教には頼ることなく智恵子さんは自分の身辺にいるのだと考えておりますので、智恵子さんの存在に向けて戦後を報告しているのであります。もはや自分の背後霊のような、自分を包み画像込んで守ってくれている鎧兜のような存在となった智恵子さんに、日本の戦後の大回転、大変革を告げておりまして、それはそれでよく分かるのであります。分からないのは、生前の智恵子さんが嫌っていたものが敗戦によって消滅したと述べていることで、だとすれば智恵子さんはアナーキーな思想の持ち主でありまして、それを光太郎さんも熟知していたということになります。

一本だけ花弁があっちを向いている水仙の茎。

アナーキーなどという言葉を使いましたけれども、別にそういう言葉を光太郎さんが使っているわけではありませんし、私自身もそんな言葉の意味する実態が分かっているわけではないのでありますが、戦前の不自由な社会、近代国家を目指して植民地を外に求め国内は抑圧する搾取するというような理不尽な社会を、智恵子さんが不満に思っていたということは案外重要なことであります。周囲との軋轢があり、生活は不如意でありまして、そのことが智恵子さんの脳を壊してしまったのだと光太郎さんは詩の中ではっきりと明言しておりまして、そのことは初版『智恵子抄』の段階とは違っておりまして、詩でありますから抽象的な物言いに終始しているんですが、ひょっとして種々の嫌がらせやちょっかいがあったのかと思うわけであります。考えてみれば戦前に置いて光太郎さんはひとかどの詩人でありますし、彼が仲間とした人々の中には当然ながら国家には不都合な思想を元にして詩を書く人もいたはずなので、光太郎さんと智恵子さん夫婦が貧乏であったことの裏側にひょっとすればひょっとするようなことが隠れてはいないのか、などと思うわけなのであります。

   読めばわかるように書いてある詩ですが、本当にそうなのか。えらいことが書いてあるような。

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