Mount Vesuvius has erupted in 1944.花束を投げた。

写真の整理をどうするのか、ということはなかなか難しい問題でありましょう。どこかから予算が付いて、その予算で人を雇うなら、これはもう古いネガ・フィルムをデジタル化すればいいことでありますけれども、そういうのは撮影した中身に貴重な情報が含まれている場合のことでありまして、一般人が今後のことを考えてコンパクト化を図るだけのことでありますから、使えるのは知恵だけでありまして、それも浅知恵だけなのであります。書籍のことを考えても狂おしいばかりでありまして、買った単行本は疾うの昔に文庫化されましてそれももはや1円(+送料)で買画像えるわけでありまして、自分が持て余した時には世間はすでに見放した後でありまして、50年30年しない間に価値が無くなるとは驚いたものであります。これだって、紙が酸性紙のばあいはすでにぼろぼろ、家に置けば埃が積もりまして、汚くなるわ不潔だわ手にも取りたくないわと思うわけでありまして、じゃあデジタル化されていればいいのかというと、あれは買ったんじゃなくて借りているから、配信元が潰れると消滅するそうであります。

寒いと花弁を巻いて閉じるオオキバナカタバミ。

だいたい、名作やら古典的なものが文庫になっていると錯覚していたんですが、著者が死ぬと姿を消しまして、一過性の流行に過ぎなかったと分かるわけで、段ボールひと箱が1000円くらいなんでしょうけれど、これを処分する手間暇を考えたら割に合わないという気もするのであります。パーソナルな写真も時間とともに価値が無くなりまして、これをデジタル化しても、パソコンがクラッシュするとかオペレーティングシステムが役目を終えれば、活用することも難しいかもしれません。Windows95に入れた音楽はそのまま藻屑となったのが思い出されまして、そりゃあ20年前のパソコンに執着しても無駄なのであります。あのパソコンのハードディスクは取ってありますが、さてそれを復元しても移り気な自分がそれをうっとり聞くとも思えないのであります。なるほど、今しか信じられない刹那的な気分が世の中に漂うはずであります。デジタルカメラで撮影した映像は、活用するのは撮影後3日くらいまででありまして、一年前の映像をながめてうっとりしたりはしていないのであります。必要があれば比較検討のために日付を頼りに探しますが、探す手間ほど出てきたものが価値を感じさせるわけではないのであります。古いものに価値があると思うのは、たぶん錯覚でありまして、何がしか現在の価値観にはまった時だけ価値を生ずると言っていいかもしれません。『万葉集』なんてちっとも面白いものではないのでありますが、時々復活するわけで、復活していると何だか価値がありそうに思わせますけれども、すぐにまた見えないところに沈み込んでゆくわけで、実はたいした価値がないのであります。

   みんなが期待を寄せるから復活するんでありますが、内実はすでに枯死したものなのかも。


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