Wandering about a foreign country.十五分の面会後。(9)

本日は3月4日でありますけれども、仕事に関することで図書館に出かけまして、資料をコピーしたりいたしましたが、帰途にコンビニに寄りましておやつを買い込みまして、さらに家に帰ってから飲み物が少々欲しいと思いまして近所のコンビニにも出向いたのであります。ひとつおやおやと思いましたのは、店員さんが若い男の子でありまして、あっちもこっちも物慣れない、しかしながら意気込みだけはある、にもかかわらず自己抑制をして仕事を果たそうという密かな決意も感じられまして、それはそれで大変結構でありますが、何がどう風向きが変わって3月になって男子がコンビニバイトをしているのでありましょう。大学はおそらく春休みに突入している時期でありまして、リポートの宿題があってもだいたい先月末が締め切りのはずであります。高校は受験が終わってあとは行き先が決画像まる頃でありますし、卒業して就職するならもう採用先に顔を出す時期でしょうか。だとすると、この若者たちは大学生のバイトか、受験生が入学費用にあえぐ親を見かねて稼ぎに来たか、ともかく女の子や主婦はどこに消えたのでありましょう。二軒ばかりで物を言うのは愚かしいのでありますが、これが結構珍しいことなのであります。レジ係が男ばっかって、こりゃまたどういう風の吹き回し?

オオキバナカタバミが一輪咲きました。突然。

受難に受難を重ねたカタバミでありますが、ようやく咲いたともいえますし、いつ花芽を付けたのかという疑問もあります。晩秋に茂みを作っていましたが、やってきた庭師に根こそぎ刈り取られてしまいまして、それまでの葉っぱはクローバーほどの大きさだったのが、めちゃめちゃ矮小化してしまいまして、本当に委縮して目立たぬように目立たぬように生えていたのであります。そこを何度かの雪が襲い掛かりまして、ただ地面に這いつくばって縮こまっていたから大きなダメージは受けなかったようであります。しかし、例年のように花を付けそうなつぼみが茂みから屹立して目立つというようなことがなかったのでありまして、咲いて初めて存在を主張したというような塩梅です。しかしまあ、こうして咲いてくれるとほっとするのでありまして、我が家に春がやってきたという感じなのであります。漢字で書くと「大黄花片喰」でありましょうか。外来植物でありまして、この植物を食べるムラサキシジミにとっては好物なんでしょうけれども、侵入生物としてマークされておりまして、この花がなかなか駆除されない理由は、花がきれいで見た目がいいということのようであります。

   『校本智恵子抄』(角川文庫)を読んでおりますが、初版に漏れた補遺もあと少し。

「某月某日」という同名の散文が四編ありますが、三つめの「又冬が来る」というものであります。昭和14年すなわち1939年の4月10日刊行の『歴程』という雑誌に掲載されたものなのだそうです。『歴程』という雑誌は、昭和10年に草野心平さんなどによって刊行された雑誌でありまして、今も続いている現代詩の同人誌なのであります。草野心平さんと言えば、福島県川内村に天山文庫がありまして、モリアオガエルなんかと関係が深い方でありましたが画像、いつだったか川内村を通過するときがありまして、天山文庫のあたりをうろうろしていたのでありますが、結局先を急いで訪問をあきらめましたが、今や放射能汚染のギリギリのあたりでありまして、モリアオガエルも天山文庫も見ることがかなわないのかもしれません。それはともかく、高村光太郎さんは日記形式の文章を求めに応じて『歴程』に投稿したようであります。

風に揺れていたオオキバナカタバミ。

智恵子さんのことばかり書いた文章ではないのでありまして、最初は水道水の寒暖の感覚の面白さに触れた文章であります。次に、智恵子さんを病院に訪ねた後のつらい心情をしたためた文章が来ておりまして、面会時間の短さと、そのあとの疲労困憊して街を彷徨するみじめさがしたためられているのであります。ただし、雑誌に掲載された時には、もう智恵子さんは亡くなっておりまして、そのあたりはどう考えてよいのか疑問であります。ともかく、智恵子さん関連はそれだけでありまして、そのあとには、トルコ国旗のこととか、古代仏画の彩色のすばらしさ、お能の照明の拙さと、お能を鑑賞する上流階級の鑑賞態度に対する不快感、そして人との論争を好まない理由を述べております。一種の「アフォリズム」というようなものでありまして、高村光太郎さんの目の付け所、それを押し出す文章力がありますので、読んでいて爽快感のある男前の文章なのであります。だから、智恵子さんの入院見舞いの泣き言も、ある意味人間的でありまして、決していやな気分にはならないのであります。この人は卑怯な人ではなかったと思われるような文章を書くわけで、それが『智恵子抄』という妻を恋い慕う詩集の魅力でありましょう。正々堂々生きてきて、妻の発狂にも立ち向かいまして、考えるべきことはすべて考えてみて、その上で堂々と弱音を吐くのであります。

   弱音を吐くだけ吐いて、それでも何がしかさわやかな気分を醸し出すというのは大したものです。

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