Chieko is one of the elements.全存在をかけめぐる。(8)

雨の一日でした。最低気温は午前6時の11・6度でありまして、その3時間後の午前9時に本日の最高気温13・7度を記録したのでありますが、そこから14時間かけて1度だけ気温が下がったようであります。よって、昼間は寒く感じたのでありますが、夕方から何となく寒くないような気がしまして、体感温度は日々の標準的な気温の上がり下がりとその日の現実の気温との落差によるものである場合もあると分かります。これを国家の比喩として使うこともできるかもしれません。鎖国を国是としていた江戸時代、日本は貧しいながらも国内流通が盛んでありまして、ミカンやしょうゆ・文化などが西から東へ流れ、海産物などは北から南へと流れまして、さらに長崎を通して中国などに輸出されたりして、それなりに活況も呈したんでありましょう。ただ、天明年間の天候不順やら飢饉のせいで成長が止まりまして、やむなく外圧にも屈して開国し、海外の発展を追いかける道を選んだのであります。その結果急激な成長が期待できましたので、明治時代は貧苦の中でも希望が見えましたから、まるで今の春先のような気分だったはずであります。日清・日露戦争で海外進出の行く手を阻む近隣諸国との戦争に打ち勝ちましたが、内実は借金で大砲の弾を買ったわけで、うすら寒い春にたまに夏日を経験して浮かれたのであります。オリンピックを前にして画像第二次世界大戦に突入した時がピークでありまして、戦争に勝っていたら我が世の春だったのが、科学力でボロボロに負けまして、体感温度は下がりに下がり、国家に戦争を強要されたという筋書きが受けまして、ドラマの中では一般庶民は被害者ということで済ませることになりまして、国のために死んで来いと若者を励ましたことなんてなるべく忘れるようにしたのであります。はて、私は何を書こうとしているのでありましょう。

ほんのり色が付いてかわいいドウダンツツジ。

戦後に景気が良くなりますと、実は貧しいのでありますが右肩上がりなので、気分は初夏の陽気。『上を向いて歩こう』とか『恋の季節』とか『真赤な太陽』なんて曲が好まれまして、しかしながら旋律はなんとなく古めかしいし、リズムもゆっくりというかのんびりというかダサいと思うくらい鈍かったのであります。オイルショックのあたりで成長が鈍化しましたが、そのころ戦前の豊かさを回復しましたので、都会も田舎も一息ついて戦後の人の流れや国内の対立が微修正されまして、余裕の出た社会は享楽的になってバブルへ突撃していってしまったのであります。あそこで堅実な社会を志向していたら、もしかしたら今頃はアメリカをしのいで経済大国どころではなかったかもしれないのであります。ワードプロセッサーやキャッチホンに傾けた開発力を、パーソナルコンピューターやスマートフォン開発に向けていたなら、つまりそれらを生み出すのが日本だったら、今頃日本人は年に二か月くらいハワイに繰り出して休暇をとっていた可能性があるのであります。バブル崩壊からあとは、体感温度は真冬でありまして、それにしては社会は安定して何とかなっておりますので、晩秋なんだけれども実は春先より暖かいというような不思議な状況なのであります。おそらく、1980年代に比べたら2010年代のほうがとりあえず安定しているというような塩梅なのでありましょう。

  昭和24年(1949)10月30日に清書された高村光太郎の詩「元素智恵子」を読みました。

初版の『智恵子抄』にあるような内容でありまして、ちょっと目新しいのは、単に智恵子さんがそばにいるというような戦前の物言いから、智恵子さんは元素になって私の中にいるという言い方かもしれません。科学的なことを高村光太郎さんが口にするものですから、どこで勉強したのかと考えるわけですが、この人は物心ついてからは彫刻刀を握っておりまして、しかしけっこう学力のある人で、幼い弟妹の勉強は自分が見ていたなどという教育者の素質のある人であります。芸術家なんだけれども、背が高くて、海外に留学体験もありまして、翻訳もできる知的画像な人でありますから、元素がどうのこうのと言うのは別に不自然ではありません。しかしこれは、やはり広島・長崎に昭和20年(1945)に落とされた原子爆弾の影響があるはずで、この頃の日本人は科学力で敗れたということをだれもが痛感し、今後の日本の方向性を科学力で盛り返すしかないのだと思い詰めていたことでしょう。岩手県の不自由な暮らしによって、かえって水素だ酸素だというようなことを考えていたのかもしれないのであります。

鉄仙(クレマチス)がいつの間にか芽吹きました。

10月というのは智恵子さんの命日の月でありまして、そうすると高村光太郎さんはひしひしと生前の智恵子さんを思い出しているのでありましょう。どうしてこんなにこの人は智恵子さんという妻を忘れないのかということなんでありますが、おそらくこの人は明治の新時代の空気の中で、父の高村光雲さんが東京美術学校の教授になり、一家をあげてつんのめった暮らしをしておりまして、つんのめったまま洋行をはたして、ロダンなんかの彫刻に度肝を抜かれながら、日本に戻って芸術を西洋の高みまでいかに持ち上げるかということで頭がいっぱいだったのであります。そこに、地方から出てきた絵を描く才媛が姿を現しましたが、この人もまた一つ前の江戸時代なら都に姿を見せるはずのない地方の酒屋の娘で、えらくつんのめった女性でありましたけれども、つんのめった姿勢のまま光太郎さんに恋をしたのであります。もちろん智恵子さんのことですが、心を奪われたのは智恵子さんの方で、その姿に光太郎さんは愛される喜びを存分に味わってしまったんだろうというのが私の推測であります。誰かを愛して告白するのはゲームみたいなものでありますが、愛されてそれに応じて愛し返すのは度量が要りまして、光太郎さんは度量があり、自分を心底愛している智恵子さんに思いっきり共鳴してしまったのだろうと思うのであります。

   その結果、死後10年経ってもちっとも冷めないわけでありまして、智恵子は彼の中にいるのです。

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