I accomplished the impossible.やれやれ『こころ』を読み終えた。(4)

汽車が終点に着いた時、私はすでに畳んだ先生の遺書を風呂敷の中に包み直し、駅のプラットホームに降り立った。改札へと急ぐ人波の中で、私は自分が空腹であることを意識したが、その意識を押さえつけるように遺書の内容が重く私を押さえつけていることも強く意識した。私が懸念したのは、すでに息絶えた先生を自分が最初に発見する立場にあるのかどうかということで、動転しないですべての手配を手順よくこなすことができるだろうかと、ここに来て自分の胆力が上手く測れないことに一抹の不安を覚えたのである。果たして自分は変わり果てた先生を見て、卒なく諸事をこなすことが出来るであろうか。そう考えた時に、抱え持つ風呂敷の中身はずっしりと重く、そ画像の重さはただならない圧力となって私の腕から落ちそうであった。先生は奥さんに対して秘匿することを遺書の末尾で要請しているけれども、奥さんもうすうす承知のことを問い詰められて隠し通せる保証を、私は自分の中に見出すことができなかった。何ゆえ赤の他人の自分が、こと切れている先生の第一発見者として家を訪問できるのかと考えてみると、そこには相当の無理な言い訳が存在するに過ぎないような気がしたのである。
(注)終点……仮に東海道線なら、大正3年9月の東海道線の終点は新橋駅であり、東京駅ではない。東京駅の開業はこの年の12月である。

ヘンルーダに執着するツマグロヒョウモン。

先生の遺書によれば、奥さんは市ヶ谷にある親類の家に叔母の看病のために出向いているとあったので、そちらに先に連絡をするのでも構わないと思ったが、それでもそのためには先生の家に行って留守を守る人がいるならその人に奥さんへの言伝を頼む必要があるわけで、どのみち先生の安否を知らないで済ますわけにはいかないのであった。その日の天気は晴れていたが、私には無性に街が陰影を帯びて重く沈んでいるように見えて、多少は暑いはずだったが脇の下を冷たい汗がするりと落ちてゆくのを何度も感じずにはいられなかった。あるいは、と私は楽観的な予測をしてみたくなった。長い遺書を書いたことで先生は取付いていた陰鬱から晴れて開放され、案外つきものが落ちたような表情で私の前に姿を現すかもしれない、というような予測であった。そして、その先生の背後からいつも通りの奥さんの美しい顔が表われて、
「紅茶でもいかが」
と声を掛けてくるような展開がどことなく頭の片隅に浮かぶのであるが、そうした滑稽な脚本は、寄席で聞く落語のように感じられ、遺書の重みにはそぐわないのであった。埃っぽい東京の九月の街角を歩く私は、まずこの遺書をどこかにしっかりとしまい込み、その上で就職のために上京した自分が、就職先の斡旋を依頼した立場上、当然の如くに先生に会いに来たという態度を保たねばならないと考えた。素知らぬ表情を保ち続けることは、ひどく難しいと恐れた。歩きながら私は再び空腹を覚えた。空腹は嘘の演技の予行演習を忘れさせたが、その代り私は故郷から飛び出してきたことの不始末を、どう取り繕うのか考え始めた。臨終を間近に控えていた父を、兄や母に託して来た積りではあったが、私は自分がどのように言い訳して家を飛び出したのか、そのあたりの記憶が曖昧でぼんやりしていることに気が付いて、後悔にも似た震えが背中をぞくぞくさせるのであった。私は、私自身の行動を自分が制御できなくなるかもしれないという恐れを感じながら、それでも足を停めることが出来なかった。

  『こころ』の続編を書き始めてしまいましたが、喀血しそうですから止めます。

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