I accomplished the impossible.やれやれ『こころ』を読み終えた。(6)

先生は留守であった。留守だと答えたのは奥さんだった。玄関の戸を開けた時の勢いが尋常ではなかったと見えて、奥さんは何かあったのですかとこちらをいぶかしげに見るのであった。先生はどちらにと聞くと、何でも潮風に当たりたいということで、安房のどこかの寺にお参りに行ったのだと奥さんがこともなげに答えるので、私は拍子抜けするとともに、確信にまで高まっていた例の疑惑がくっきりと輪郭を帯びて来るのを感じた。奥さんは、夫が何かあなたに郵便で送ったようだが無事着いたろうかと聞くので、ええ確かにと答えながら、内心あの遺言のことを奥さんが知っていそうな成り行きに驚いた。奥さんが言うには、郵便なら私がついでに送りますと預かりかけたのだが、先生はそれをひったくるようにして自分で手配すると言ったそうだ。日ごろ細かい用事をしたことがないので、どうや画像ら郵便にする際に局員との間にひと悶着を起こしたらしいが、あれは一体なんだったのと、その内容がまさか先生の遺書であったとは思っていなかった様子を見せた。原稿用紙に書き綴ったあの遺書は、とても遺書には見えず、その上原稿用紙を一枚ずつきっちりと四つ折りにして重ねてあって、届いた時の包み具合も奇異な感じを抱いたが、そのことが奥さんには目くらましになったのであろう。

風雨に花弁が間引かれたサルスベリ。

先生のお宅に来る前に、私は自分の下宿に立ち寄って例の遺書を文机の引き出しに収め、さらに鍵までかけてきたのだから、私の口がうかつなことを漏らさない限りは、遺書であったことは奥さんには分からないという安心感があった。奥さんは一つお茶でもいかがと言ってくれたのだが、私は奥さんの態度がごく自然でまったく逼迫した様子がないことと、遺書の最後の書きようとは違った先生の行動の不可解さに、どういう態度をとってよいものか途方に暮れて、奥さんの誘いに対して辞退した。就職のための二三の約束があってそれを果たさねばならないというような、口から出まかせの理由がすらすらと出てきたことに自分ながら羞恥を覚えて、私は柄にもなく耳たぶをほてらせて去ることになった。こうなってみると、遺書の内容に対する疑念は、遺書の中の小さな矛盾を突き抜けて、遺書の筆者である先生へと矛先が向かうのであるが、その場合、もともとの疑念はどうでもよいことになり、むしろ先生の告白全体がどこか架空の作り物めいた創作物ではないかと疑われ始めたわけだ。先生の家を思い切って訪ね、あの玄関の前にたたずんだときは、その遠くもない先生の書斎に、何らかの手段で血潮を流さずにこと切れている先生の骸(むくろ)の姿態までが浮かんでいたのであるが、それは杞憂に過ぎなかったことが分かる。まさか、奥さんが書斎に斃れている夫のことを知りつつ、上ってお茶を飲めと言うとは思われず、ここはいったん引き下がるしかないだろうと思った。こうなってみると、尋常ではない長い遺書に魂を奪われるようにして、臨終の床にいる父を放置してきたことが、自分の過失として自分の胸を刺す槍のように、切なく感じられるのだった。(続く)

   冗談で書き始めたら、止まらなくなってしまいましたが、さて落ちはどうする。

100年前の朝日新聞の『こころ』の連載は、完結したのが8月11日だったそうでありまして、4月20日からですから、どうやら途中で3回連載が抜けた時があったようであります。月一回の休刊日が当時も設けられていたのであれば、5月6月7月に各一回の休みがあったことになりまして、それ以外は全部書いたのでありましょう。こういうことも憶測しないで調べ画像るべきなんでしょうけれども、もともとものぐさでありますから、あれこれ空想したり推理したりするので十分でありまして、間違っていたって構わないのであります。ともかく、本来の連載はほとんど休みなく113日かけて110回の連載を済ませたもののようであります。上に書いた続編では、先生はどうやら死んでいないという方向に筆が走りましたけれども、それはどうしてなのかと考えてみても、別に合理的な説明などできないのであります。

家庭菜園の真ん中に陣取る謎の植物の先端。

ところで、主人公のもとに届いた先生の遺書というのは、原稿用紙に書かれた束のはずなんですが、それが四つ折になっているということで、専門家の注釈を見ると、厚みがあって無理だと記されているのであります。おそらく郵便で届いたものでありますが、これを一枚ずつの四つ折りで、それが束になっていると私は読んだんでありますが、いかがなものなのでありましょう。普通原稿を書いた場合には、こよりなどで綴じまして、それを二つ折りにして送付するものですが、この場合、妙に厚みのある扁平な荷物になりますけれども、あまり落ち着きのいいものではないのであります。潔癖症の先生ということを考えると、一枚一枚を四つ折りにしている様子が浮かびまして、もしかしたら折ったところを爪で潰して厚みの出ない工夫まで浮かぶのであります。そこに尋常ではない性格を感じさせようと漱石さんは企んだかもしれません。

   何だか酔狂を通り越して、偏執狂の域に達しつつあるのはお互い様でありましょうか。

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