I accomplished the impossible.やれやれ『こころ』を読み終えた。(8)

あれから七年の時が流れた。先生の行方は杳として知れず、そのために奥さんは寝付いてしまったこともあったが、今はあきらめがついたと見えて、失踪宣告をすることにして、先生は法律上は亡き人ということになったのである。その間に一度、奥さんの依頼で、先生が旅に出ると言っていた鯛の浦の誕生寺に出向いて探してみたけれども、寺の住職に聞いてもこれといった手がかりもなく、現地の警察に事情を話して見たりもしたが、特に有益な情報は得ることが出来なかった。遺書によれば、先生と友人は、あの寺で決定的に袂を分かったはずであったが、あれは貧乏旅行のために二人が気が短くなっていたのだろうと勝手に推測していたけれども、実際に行ってみると、何がしかの宗教的な霊験も感じられて、どうして先生が友人のようには高僧の生誕地で振る舞わなかったのか、不思議な気もしたのである。今は汽車が鯛の浦にほど近いところまで運んでくれるために、訪問することは微塵も難行苦行ではなくなっていて、あっけないほどであった。この七年の間に、私は大学院を出て、いくつかの画像学校の講師を兼ねて何とか生活が立ち行くくらいであるが、とりあえず世の中に出て暮らしている。あの遺書は今でも机の引き出しに入ったままで、私はその存在を時々思い出す程度になった。先生の墓を作るという話が出て来て、そのうち墓を作ったからお参りに来てはくれまいかという連絡が来たので、その日時に従って私は墓所となった雑司が谷霊園に出向いた。

このところやかましい蝉であります。

霊園の蝉時雨がうるさい中を、私は奥さんと歩きながら、先生の思い出話などをぽつぽつと交わしながら、先生の墓へと向かったが、途中には「文献院古道漱石居士」と彫り込まれた文豪夏目漱石の新しい墓もあって、先年亡くなったばかりなので、そこは線香が絶えない様子であった。先生の墓は、文豪の墓よりさらに北の大きな欅の木の下にあったが、奥さんの話では例の友人の入っていた墓に合葬するというのであった。仲の良いお友達と結局一緒になりましたと奥さんは言うのであるが、私は例の遺書の文面を思い出して複雑な気分に浸った。墓には先客があって、僧侶がお香をたきお経をあげているところであったので、奥さんと私は僧侶の後ろに立ってその長いお経が終わるのを待った。振り返った僧侶の顔を見て私はぎょっとしたのだが、それもそのはずで僧侶の顔は老けてはいるが馴染み深い先生の顔と瓜二つだったのだ。多分私は「あっ」と声を発したらしく、欅の木で鳴いていた蝉時雨が一瞬沈黙し、沈黙した故に一層やかましさを増して再び耳をつんざく様な大音響となった。「どうして、……。どうして……。」と呻きながら、私は僧侶姿の先生を前にして動転したが、その瞬間傍らの奥さんは大きく吹き出して笑い声を上げたのだった。(続く)

  暇に任せて続編を書いて参りましたが、どうやらうまく纏まりそうであります。

書いていて気になりましたのは、鉄道路線のことでありまして、鯛の浦のあたりというのは風光明媚なところでありますが、駅は安房小湊であります。現在は外房線という路線でありまして、千葉を発して終点が安房鴨川であり画像ますが、終点の二つ手前が安房小湊になっているのであります。千葉から100㎞ないくらいでありますから、乗ればさほど時間はかからないのでありましょうけれど、外房線に乗った記憶がありません。開業したのは明治29年(1896)房総鉄道としてでありまして、蘇我と大網の間だったそうですが、明治40年(1907)には国有鉄道になって、そのころには「房総線」と名称も定まり、千葉から勝浦まで行けるようになっていた様子であります。

家庭菜園の紫蘇畑に蝶々が来園中。

鴨川まで線路が伸びたのが昭和4年(1929)だったそうですから、安房小湊まで汽車で行けるようになったのは昭和に入ってからのことなのであります。鉄道を民間に敷設させておいて、やがて国でお買い上げというのは、どこもそうだったわけですが、地方によっては再び民間に移譲しようとしておりまして、歴史というのは行きつ戻りつ繰り返すものなのでありましょう。国家も併合したり、再び分割されたり、あるいは中央集権になったり、地方分権になったりするわけで、元の木阿弥という言葉も浮かびますが、なるようになるのかもしれないのであります。安房小湊駅の時刻表を見ると、現在は一時間に一本が基本でありまして、特急のわかしお号がある時は二本というような停車数でありまして、ローカル線はどこもそうなっておりますが、首都圏の3分おきの時刻表とはまったく違うものであります。

   さて、僧侶姿の男の正体はいかに。次回は『こころ』「続編」最終回です。

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