I accomplished the impossible.やれやれ『こころ』を読み終えた。(10)

ようやく私にも事の真相が見えて、欅の木陰の涼しさに汗も引き、人心地がついたようであった。僧侶は奥さんを相手に今後の法事のことなどを話していたが、その内容の多くは先生の事ではなくて、墓の中に納まっている先生の友人の事であった。友人のイニシャルが「K」ではないことは言うまでもない。その友人が未亡人の下宿で変死を遂げた時、彼の死を弔う親類縁者は現れなかったのである。先生は、実家に頼み込んで先生の父と兄に駆けつけてもらい、この霊園の一角を墓所と定めて葬ったのであった。絶縁していた叔父一家はもちろん引き受け手になるはずもなく、けんもほろろの応対であったけれども、実は亡くなった友人はそれなりの財産を先生に託し、雑司が谷の地に葬ってほしいという遺書まで残したというのである。「私達とはろくに口も利かない人で、ただ亡くなる前にカルタ取りをした時には、そりゃあ上手で、こんな明るいところがあるのかと驚いたのですよ」と、奥さんは記憶の一隅を照らし見るようにして、欅の梢の木漏れ日を透かし見たが、その時の奥さんは息をのむほど美しかった。「それに比べて先生は、百人一首などは知らない、諳んじたことなどないの一点張りで、母も私も笑ったものでした」と言いながら、奥さんは傍らで聞きふけっている私に微笑みながら視線を送るのであった。先生の遺書は、ほぼ事実をつなぎ合わせながら、変死した主体を自分に置き換え、自分を抹殺してみたのであろう。自分が画像死んでいればよかったのだと、そう思っていたのに相違ない。途切れてしまった友人の生を演じて生きたのであろうけれど、それも限界が来たのかもしれない。先生の遺書は、そういう意味では一篇の小説ではあるが、私はそれを魂の告白として読み返してみようと思う。そして、私が知りうる先生のすべてを添えて、一篇の小説として世に出してみようと思う。

ローズマリーの茂みに張られた蜘蛛の巣。

私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此所でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私に取って自然だからである。私はその人の記憶を起こすごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
なぜなら、先生の遺書に出て来る変死する友人の頭文字「K」こそが、先生の名前の頭文字であるからだ。下宿先で変死したのは、実は両親を上京前に腸チフスで相次いで失い、叔父に財産のあらかたを掠め取られ、残りの財産をすべて処分した金で未亡人の下宿に移り住んだ先生の友人であり、その人の頭文字はもちろん「K」などではなかった。先生は己を断罪し、己を殺すことに身を砕き、ついには自分自身を「K」と呼んで軽蔑したのであろう。もはや確かめようもないことだが、下宿屋の未亡人はあとからやって来た下宿人「K」がお嬢さんに惚れたのを見て取り、お嬢さんも「K」を憎からず思ったのを見てとって、おそらくは軍人の妻らしい毅然とした態度で、友人の求愛を退けたのに違いない。血に染まったのは奥の八畳間であり、「K」のいた四畳の部屋ではなかったのだ。蝉時雨が少し収まったようだ。先生の兄にあたる僧侶が、奥さんに、「あの琴はどうされましたか」と問う声が聞こえる。しばらく、絶句した後で「ええ、血が付いてしまって処分いたしました。あれ以来弾かなくなりました。夫は新しいのを買おうと何度も言っていましたが……。」と、ため息をつきながら奥さんは言うのだった。蝉時雨は再び勢いを増してきた。私は小説の冒頭をどうしようかと思案し始めた。やはり、先生との出会いから書くべきなのだろう。

 私が先生と知り合になったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。

そうだ、あの時も夏であった。季節は巡り、私はもう書生ではない。先生はもうこの世にはいない事だろう。おそらく。(完)

   いやはや、一応完結してしまいました。お粗末さまでございます。

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