Anthology of parody poems.もぢり百人一首(18)

18 岸に寄る 波さへ避くる 通ひ人 ひと目逢ひたや 夢の中でも

(通釈)岸に打ち寄せる波、いいじゃないの濡れたって、押したり引いたり恋の駆け引きばかりしているあなたは、まるで私の恋を注意深くはぐらかすように、きっと住吉海岸の波だって上手に避けることでしょう。そういう用心深い、立身出世に抜け目のなさそうな人が、私の恋の相手、あなたなの。せっせと夜も昼も通って来るあなたと、できたら夢の中でもぜひぜひお会いしたいことよ。まだ、夢であなたをお迎えしたことがないのよ。

(語釈)○避くる……「避く」という動詞は、かつては上二段活用だったというからここは上二段活用の連体形ということになる。四段にも活用したと言うが、なぜか中世からは下二段活用に転じたという。○ひと目……本歌では「人目」であるが、ここは「一目」の意味で使っている。

(本歌)住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ
     (『古今集』巻第12・恋歌2・559番 藤原敏行朝臣
                    「寛平御時后宮歌合の歌」)

よく分からないのであります。本歌の内容がよく分からないということもあるんですが、4年前に『百人一首』をつらつら考えた時がありまして、その時には私はどうもこの歌がよく分かっていたようなのであります。しかしながら、その記事を読んでみても自分がどういう解釈を施していたのか、さっぱり見えてこないのであります。注釈書は、どれも分かったという立場から解説してあるんですが、古来「人目よく」の主語が対立しておりまして、注釈書はどちらかの立場に立って断言しているのであります。自分が「人目をよく」なのか、恋人が「人目をよく」なのかという対立であります。この場合の「よく」というのは「避く」でありまして、これも終止形であるのは間違いないのでありますが、上二段なのか下二段なのか、それとも四段なのか、活用が注釈者によってばらばらのようであります。そして、どの注釈書画像も、「避く」が「波」の縁語であるということにはまったく気が付いておりません。この歌は、あくまで「住之江の岸に寄る波」「寄る」「避く」という縁語仕立ての歌でありまして、別に実感を込めた歌ではありません。言語遊戯の最たるものですが、それは歌合に出した歌だから間違いないんですが、注釈する人は人によっては思いっきりロマンチックに解釈したりするのであります。驚くばかり。

昼間の暖かさでカタバミが開きました。

「昼人目をよく」というのは、人目を気にして通っているとも、来ないとも読めそうであります。たぶん、この歌の弱点はそこでありましょう。しかし、人目を気にしながら通ってきている方がいいような気がします。そうすると、「さへ」の添加の意味が生きてきまして、「夢の通ひ路」すなわち夢の中でも通ってきているのに、やはり人目を気にしている、びくびくしていておかしい、というしゃれた歌ではないかと思うんですが、普通はこの歌は相手が自分に逢ってくれないという歌として解釈するのであります。逢いに来ないのに「人目を避く」必要があるのかどうか、逢いに来たからこそ「人目を避く」のではないかと思うのであります。きっと、私は変なことを言っているんでありましょう。この歌は、「夢の通ひ路」と「夜」が重複しておりまして、分からないところがあります。もしかしたら、「昼」と「夜」と「就眠中」の三つの時間がかかわるのかもしれません。ともかく、波打ち際を歩くと波に濡れますので、それを上手に避けながら歩くものであります。波と言うのは、別に規則正しく打ち寄せるわけではないので、危うく濡れそうになるものであります。波を避けるように、人目を避けるわけで、夢の中でもひやひやしていると滑稽であります。

  どうして、逢ってないと決めるのでありましょう。恋人とは夢でこそ逢うもの。

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