掌小説(2) 地下の霊安室・中

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松尾鉱山緑ヶ丘団地跡の廃墟。
写真サイト「BlueWind」から。





 谷村圭吾の率いるミステリー同好会の一行は、しばらく八幡平の台地の平坦な道を歩いていたが、次第に光景が変った。そこに出現したのは、鉄筋コンクリートの団地群であったから、大倉靖男は光ヶ丘団地のようだと思った。さらに近づくと、それはさほど高層ビルではなく、靖男はひばりが丘団地みたいだと思いを改めた。その団地の向こうに山並みが続き、空が夏の光に満たされていたのが、そこが東京ではないことをはっきりと示していた。1980年代の東京はまだ汚れた空気の中で、いつ果てるともない成長の真只中で、日々ビル群は成長を遂げていた。そうした日常に慣れた目からすれば、澄み切った空気の中でひっそりとたたずむ五階建て程度の団地のビルは、まるで映画のためのセットのようだった。

「本日のお宿が見えてきました」

谷村圭吾が旅行の添乗員のような口ぶりで紹介すると、団地に目を奪われていた一行は正面に見えてきた建物に目を移した。正面玄関を備えた三階建ての建物だが、車寄せは大きく、雄大な自然を背景にしていて、ずいぶん大きく見えた。

「懐かしい」

という声が一行の後ろから聞こえて来て、何人かが振り返ったが、同じように振り返った靖男の目には声の主が見えない。たぶんあの赤いチェックのシャツの持ち主だが、誰もがパンパンに膨らんだ旅行用のショルダーバッグやリュックサックを背負っていて、お互いの顔が見えない有様なのだ。

 圭吾の説明によると、八幡平の山上に10年ほど前まで採掘されていた鉱山があって、最盛期には2万人近い人口があったという。映画館だってあったんだというのだから、そこに団地が群れを成していてもおかしくはないという話だが、それなら何だってあったんだろうと想像できた。これから泊まる宿は、病院の跡を宿泊施設に改装したものだと分かった。なるほど、タクシーが横付けできる正面玄関、二重になっている自動扉の向こうに見えるカウンター、公共の大きな病院はそのままホテルが開業できそうな風情があるが、正しく目の前の宿はそんな感じなのだ。そして病院の名残がそのままなのか、宿泊施設なら当然あるべき装飾の類が全く感じられない。それらしい門がない。門の周辺に目立つような宿の看板類が乏しい。近付いてきても宿の名前を示すものがほとんどないから、それがどういう施設なのか、さっぱりわからないのだ。

 靖男は振り返ってバス停の方を見てみたが、すでにバス停は視野の向こうに消え去っている。ということは随分歩いたのであり、考えてみたら乗っていたバスは路線バスに過ぎなかったのであり、宿の送迎用のバスではなかったのである。ということは、宿泊施設になったとはいえ、いわゆるり「居抜き」ということだから、観光用のホテルらしい風情も何もなく、客の送迎に手が回らないということなのだろう。きっと料金は格安で食事もそれなりだろうから、学生の一行にはこれで充分なわけで、靖男は幹事の谷村の手配を面白く思った。発見したての鍾乳洞探検の次は、この前までそれなりの街だった廃墟の探訪という趣向なのだった。

 夕食になると、食堂には人が詰めかけて、どこからこんなに人が湧いて来たのかと思うほどの賑わいだった。登山の格好をしたままのグループも多かったから、この宿をベースにして周辺の山を回っていることが分かった。路線バスは一時間に一本くらいであるから、たいして人を運んでは来れないはずだが、ふもとから山に上るのであれば、バスを使わないという選択肢もあるのだろう。登山のグループは騒々しく、食欲も旺盛だったので、靖男の集団は気圧され気味であった。食堂には人がしょっちゅう出はいりしていたし、食卓でタバコを吸うのが当たり前の時代だったから、そこここのテーブルで紫煙が立ち上り、頭の上を笑い声のさざめきが行ったり来たりしているのだった。夕飯のメニューもありきたりのもので、とびきりうまくもないがさりとてまずいというほどのものでもなく、ミステリー同好会のメンバーは、食事が終わると一人二人と席を立ってまったく目立たない。

「食堂に来る途中に地下への階段があったのを見たかい?」

圭吾は、その階段の下にはたぶん霊安室があるだろうという話をした。病院を宿泊施設にするときに、霊安室のあたりをどうするかということで少々もめたと言う。結局、ボイラー部分は外から入るようになっていたので、霊安室の周辺だけを封鎖しているというのであった。階段の入り口には、ロープの付いたガイドポールが置かれていて、下には降りないようにしてあったが、さほど厳重にふさいであるというほどではない。入ってみたという人がいたそうだが、通気用の窓があるだけで、四角い何もない部屋だったという。

「エレベーターのBのところは使えないようにしてあったね」

と靖男は応じながら、鉱山を閉じた時にこの建物は新しかっただろうと思い至り、それを宿泊施設に転じる時の困惑というものを少々想像してみた。健康な者にとっては、病院と言うのは非日常の空間であり、風邪を引いた骨折をした、誰かが入院をしたという時に稀に訪れるものだ。しかしながら、入院患者にとってはそこは生活の場であり、食事をしたり睡眠を取ったり、そして死を迎えたりする場所なのだ。一部は宿泊施設とダブるのだが、おそらく霊安室だけがまったく宿泊施設と重ならない部分と言うことになるだろう。それを完全に取り払わないで、残してしまったというところに、不可解な感触があった。

 食後にはミーティングと称して全員で集まった。会議室が使えると言うので、エレベーターで3階に上がったが、見晴らしのよさそうな部屋から夜の闇に沈む閉山した鉱山街のあたりが見渡せはしたが、山の稜線の輪郭と、団地の下を照らす街灯がポツン、ポツンと見えるだけだった。新しく加わったメンバーの紹介と、それぞれの自己紹介があったが、もうすでにバスの中で話し込んだり食事をともにしていたので、名前を言うだけの者もいた。万事に深入りしないのがこのサークルのいいところだと、靖男は改めて感じた。知らない顔もいたが、それぞれ誰かの友人、知人で、夏休みの退屈を紛らせに来たに過ぎないから、終始なごやかだった。女子も数人いて、その中の一人は圭吾の恋人だが、その中に靖男の意中の人はいない。その点で靖男は気楽だった。幹事役として圭吾が明日の朝食の時間を確認し、夜の廃墟の散歩を提案をしただけでミーティングは終了した。

 靖男は圭吾と一緒に男子の部屋に戻り、それからロビーに集合して、みんなで連れ立って夜の団地の廃墟めぐりをした。何人かが用意した懐中電灯を頼りに、暗い廃墟の中を歩き回ってみたが、内部は空っぽで人気がないのは明らかだった。室内には温水パイプを使った備え付けの暖房設備があったりして、鉱山街の暮らしぶりが豊かだったことが分かった。旅行に参加した数人の女の子は建物の中には入らず、団地の敷地の入り口の街灯の灯火の近くにいて、男子の冒険が終わるのを待っていた。ほどなく冒険は冒険と呼ぶほどのことでもないと分かって、男子も街灯の下に戻り、花火をして興じたが、それもつかの間のことであった。八幡平の台地の上は標高が高いはずだが、別に冷え込むわけでもなく、夏の夜らしいぼんやりとした暖かさであった。宿舎に戻る頃東の空に月がのぼり、廃墟の街を照らしたが、それはどこにでもある街並みに見えて、特に何か哀愁を催すようなものでもなかった。

「風呂に入ろうぜ。結構大きいそうだ」

そんな声が聞こえてすぐに元病院の宿舎の前に着いたが、ロビーは煌々と明かりがついていて、宿泊客がうろついていたり、今到着したグループが宿泊の手続きをしたり、あるいはエレベーターの前で部屋割りを発表していたり、それなりに賑やかであった。病院だったと聞かされていなければ、ごく普通の観光地のホテルと思っていたかもしれない。事は夜中に起きた。


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