掌小説(3) 地下の霊安室・下 その1

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東京吉祥寺・ハーモニカ横町
撮影者は”金魚8”さん。
フォトライブラリーからダウンロード。








 若い頃というのは、やみくもに徹夜をしたがるものだ。昨日の晩は福島の岳温泉の旅館に泊まったが、夜明けまで話し込んで倦むことがなかった。日が昇る頃にうとうとして、それから朝食を食べるために起こされたのだから、ろくに寝ていないのだが、移動中もおしゃべりに夢中で居眠りする者もなかった。大倉靖男は中学の修学旅行の二泊目に徹夜をして、翌日目の前が黄色くなったことを覚えている。よって、次の日の周遊地であった清水寺の参道の坂が、妙に歪んで見え、何を見てもほの暗く黄色く見えたのである。おそらく徹夜に挑んだのはその時が最初で、何がどうなっているのかよく分からなかったようだ。さすがに今は徹夜しても平気だが、昨日もろくに寝ていない一行は、風呂上がりに雑魚寝をした部屋でいつの間にか寝息を立てるものが続出した。谷村圭吾が靖男を相手に明日の日本海側に出た後の行程を詰めようとしていたが、靖男も次第に眠気がさして、要領を得ない返事をしていたが、やがて枕に頬をうずめて寝てしまった。

 夢の中では八幡平の台地の上はまだ鉱山が最盛期で、映画館は封切り映画の看板を掲げ、商店にはうず高く商品が積み上げられている。家電を扱う電気屋の前にはテレビが据え置かれ、その画面の中で力道山の空手チョップが対戦相手の喉元を捉えていた。プロレス最盛期の画面は白黒のはずだが、靖男の夢の中では極彩色となっており、対戦相手のパンツはアメリカ国旗のデザインになっていて、さすがにこれは夢だなと思うのだった。肉屋の店頭には揚げたてのコロッケが湯気を立て、飲み屋の店先のテーブルでは酒を煽る鉱山の労働者の姿が溢れかえっており、いかにも景気がよさそうに次々とコップを空にしているのが分かるのだった。その労働者の一人を、二人の少年が呼びに来たのが見える。あれはお母さんが倒れたと伝えに来た双子の兄弟だ、と靖男はなぜかその家族の事情を知っていて、注がれたばかりのコップ酒に執着している父親を憎んだ。

「父ちゃん、早く、早く」

と双子は声を揃えて父をせかすようだが、夢の中では鉱山街の繁華街の雑踏にかき消されて声は聞き取れない。「ああ」とか「うう」とか言っているようだが、父親は前から病弱だった妻がいよいよ駄目だと目の当たりにするのを避けたいばかりに、ぐずぐずしている。幼い双子は小学生になる前だろうか、体はとても小さく、ズックを履いている脚はマッチ棒のように細く感じる。利発そうな二人の男の子は可愛らしく、父親は決して邪見にしようとしたりはしていない。子供のために、妻が倒れても大丈夫だと、余裕のあるふりを取り繕おうとしているようにも見えるのだった。飲み屋の客は、それとなく家族の抜き差しならない状況を感じ取って、次なる展開を待っているような表情をそれぞれにしている。

「酒など飲み干さなくていいから、はやく町はずれの病院に行けよ」

と靖男は夢の中で父親に向かって激しく叫んでいた。どこからそんな声がでるのかというような、叫び声をあげたようだ。病院の手前にはこの家族の住む団地があり、団地の五階が彼らの部屋だが、その台所で夕暮れ前に母親は倒れた。双子の兄弟は毎晩楽しみにしていた瓶入りのサイダーを買うために酒屋までお使いに出たのだが、サイダーを一本ずつ握って戻ってきた二人が見たのは、料理の支度をしている最中にお玉を握ったまま倒れた母親の姿だった。もちろん今は病院に搬送されて治療を受けているから、団地の前を素通りし、出来たてでピカピカの病院の救急治療室に駆けつければいいのだ。

「早くゆけよ。奥さんが死んじゃうよ」

靖男は怒りにも似た感情を高ぶらせて、飲み屋の一角でもつれ合っている三人の家族に向かって叫ぼうとしていたが、赤の他人の自分がどうして八幡平の松尾鉱山の盛り場で叫んでいいものかと、ためらいを覚えた。このままだと霊安室だぞ、まずいぞ、急がねばだめだと靖男は思うのだが、霊安室ということばによって夢から覚醒しそうになった。そうだこれは確かに夢で、松尾鉱山は閉山し、団地はもぬけの殻となり、病院は今では……自分が今寝ている宿泊施設になったのだった、と思い至った。寝返りを打ってみると、入り口のドアが細めに開き、廊下の灯りが漏れている。外で誰かがひそひそと話し込んでいるのが聞こえるが、どんな話題を何人で交わしているのか分からない。

靖男は今見た夢が、廊下の話し声に触発されたものだったのだろうと感じた。なぜなら、ふっと会話の中から「れいあんしつ」ということばが聞き取れたからである。靖男が顔を上げようとした瞬間、ドアは閉じられ室内は十分閉めきっていないカーテンのせいで月明かりに切り替わった。ひょっとすると外から誰かが室内にいる人を呼び出し、それに応じて誰かが出て行っただけかもしれない。その刺激で、走馬灯のようにドラマを夢に見てしまったのだろう。靖男はむっくりと起き上がり、自分も霊安室に向かってみようと寝ぼけた意識で思い立った。

 エレベーターで1階に降りるときに、封印されている「B」ボタンを押してみたが、全く反応はなく、靖男は1階のボタンを押してロビーに出ることにした。「B」ボタンの横に「使用できません」と小さく書いてあるが、まったく目立たない。ロビーを横切り、食堂へ向かう通路を歩いてゆくと、正面に大きな柱時計が据え付けてあって、間もなく午前2時であることが分かった。夜は深々と更けて人気はなく、夕飯時の混雑していたのと同じ場所とは思われない。地下の入り口が見え、ガイドポールにロープを掛けたものが、前と同じ位置にあって、人の出入りを封じている。ふと人の気配がして、地下から階段を上って来るスリッパのパタリパタリという音が時折聞こえて来る。靖男は廊下に並んでいる植木鉢の観葉植物の陰に思わず入って自らの気配を消し、相手を確かめようとしていた。1階の床の高さに地下から現れたのは、今回の旅行の幹事を務めていた谷村圭吾の顔だった。ふと階下に目をやった圭吾は、あたりをはばかるようなそぶりをした後で階段を上り切り、そのまま観葉植物の前を素通りしてロビーの方へとスタスタと歩いて行ってしまった。ほんの20秒ほどのことであるが、靖男はぐっと息を殺して、圭吾に気づかれないようにしたものの、寝ぼけた頭には自分の今の振る舞いがよく分からないのであった。

 さて、どうするか。自分も地下に降りて、その先にあるという霊安室を覗いて見ることにしようか。圭吾は戻ってきたりはしないだろうか。観葉植物の陰はほの暗く、首筋に触れた葉っぱが飛び上るほど冷たく感じる。通路の奥で、柱時計がボーン・ボーンと2回鳴った。



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