I'll explain kindly.丁寧にご説明します。(5)

妙な事を思い付いても、それを人に言うかどうか、あるいはどこかに書いて披露するかどうかというのは、よくよく考慮しないといけないことでありましょう。近ごろコマーシャルを見ていると、健康食品・栄養食品に関するものは、「個人の感想です」とテロップを入れますが、コマーシャルを作るにあたって起用した芸能人や有名人でありますから、当然ギャラを払ってセリフを言わせているんですが、言わせたセリフと矛盾する「個人の感想です」というテロップは、もうこれは言い逃れだけのことであります。いつも不思議に思うのは、昔からあったわけでもない新商品のような物を、素人が「愛用しています」と語ったりするわけで、嘘くさいのはハナから承知でなければ見ていられないところ画像があります。イチロー選手がユンケルのコマーシャルを長く続けていますが、あの人がそれを飲んでいるとはなかなか考えられないのでありまして、同じことはビールのコマーシャルにも言えることでしょう。昼間のBSをたまに眺めると、老人向けの宣伝がものすごく多いのでありまして、よくまあ効能を謳うものだとあきれるのであります。しかしながら、宣伝が廃れないところを見ると、ある程度は売れるんでありましょう。

ナミアゲハがランタナの蜜を吸っていました。

さて、昨日余計なことを書いたんでありますが、普通に辞書を引いてみると、たとえば「立春」はここから春になると書いてありまして、「立春から立夏までの間が春」とわざわざ書いてあるのであります。やっぱりそうかと思うんですが、本当にそうだったのか、いぶかしいところを探すと結構見つかるものであります。例えば世間でよく言う言葉に、「暑さ寒さも彼岸まで」と言うのがありますが、これはたぶん「暑さも秋分まで」もしくは「寒さも春分まで」と言うことでありまして、これからすると、夏の終わりは秋分、冬の終わりは春分という知恵が込められておりまして、体感的にはこの通りなのでありまして、夏が立秋で終了とか、冬が立春で終了していると思う人は皆無であります。暦が変だというのは簡単でありますけれども、実は暦の理解が足りないとか、二十四節気の表現を誤解しているということがあるなら、それは理解不足のほうが悪いということでありましょう。一つ気になったのは、「立春」ということを「春が立つ」と普通は言うんでありまして、

    春立ちける日よめる
  袖ひちてむすびし水の凍れるを春立つ今日の風やとくらん

などと言う歌でも「春立つ」と呼んでいるのであります。これは「立春」という二十四節気のことを言っているとも言えるし、暦の上では春になったと言っているようにも取れるわけであります。貴族の伝統ではこれでいいのでありましょうけれども、実は二十四節気を気にするのはそれを輸入した最初だけだったという話が有りまして、二十四節気はすぐに廃れ、実は太陰暦で定めた月を重視して、正月・二月・三月は春というように、機械的に振り分けるのが普通になっていったという話があります。二十四節気は農業には役立つんでありますが、都で暮らす貴族には、太陽暦に即した二十四節気なんかどうでもよかったんじゃないでしょうか。気になるのは、「立春」と言う表現を「春立つ・春が立つ」と訓読していいのかどうか、と言うことでありまして、訓読の原則なら誤読であります。これは、当たり前のことですが、返り点を打って「春を立てる」と読むべきものの様な気がするのであります。「夏至」や「冬至」の場合は、主語に述語が加わる形ですから、「夏が至る」「冬が至る」で構わないのであります。けれども、「立夏」は、これは動詞の後に目的格の名詞と言う構文のはずなので、「夏が立つ」ではなくて「夏を立てる」のはずであります。じゃあ、「春を立てる」「夏を立てる」というふうに読んだら、意味がどうなるのかと聞かれると、これがさっぱり分からないのであります。仮に「春めいてくる」「夏めいてくる」だとして、それは「春になった」「夏になった」と言うことになるのかどうか。言えないような気がします。たとえば、「選挙に人を立てる」という表現を考えてみると、これって「あてがう」とか「引っ張り出す」ってことでありますから、「選挙に立つ」と言うのに比べて、ニュアンスは格段に違います。もちろん、「立春」や「立夏」という熟語になって二十四節気の用語になった段階で、もともとの意味なんか変容するはずでありますから、うだうだ言ってもしかたないのであります。

   立法府は、法律を作るんであって、実施はずっと後のはずですな。

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