I went around the location of the memory.俺たちの旅。(3)

うかうかしている間に、日本人の平均年齢を自分もはるかに超えてしまっていたようでありまして、もはや老人の仲間なのであります。2025年にはこうなるああなるとか、2040年にはここまで来る、というような議論が出ておりまして、よくよくみたら、そこで問題になっている高齢者と言うのは自分と自分の世代でありまして、やれやれ困った困ったと思うのです。私は自分の同世代を、仲間だと思う気持ちが少ないのでありまして、はっきり言えば付き合いたくもなく、その時画像々の若者文化もそうですが、その後のオヤジになった同世代の文化に、なんとなく距離を置いて過ごして来たような気分なんであります。しかし、それでももうじきひとくくりされて邪魔者扱いされることでしょう。老人を姨捨山に捨てるのは、きっと古今東西普遍的なことですから、慌てるまでもないのであります。しかし、終戦時に少年だった世代、あるいは団塊世代、これからどんな散り際を見せるのか、興味津々であります。

ランタナの花に、バッタの赤ちゃんがいました。

近ごろのニュースで気になるのは、国立大が理系を重視して定員を増やし、その代わりにあまり役に立たない文系の学部などを削減しまして、将来に備えるという話であります。要するに予算を付けてそれを回収するという経済的な考え方で大学を眺めると、文系については短期間で回収できそうもないので、これは早速お取り潰しと言うことになるでありましょう。毎年収穫できる米を作れ、100年後に伐採する木なんて植えるなと言うお達しでありまして、まことにごもっとも、よくまあ机上で計算なさったものであります。実はもう50年前、30年前からそうなっていたのでありまして、いまさら文系の削減案に驚く人がいるほうが不思議であります。国立大は理系にして、文系は私立大がやれと言う話もありますが、私立は滑り止めでありますから、減少した受験生で文系の大学が成り立つはずもないのであります。ただ、面白いと思うのは、国立大を出た人は公務員になったり科学者になったりするわけですが、私立大の文系を出た人が口八丁手八丁で政治家になり、それが公務員や科学者を牛耳ることになるでしょうから、それはそれで面白いのであります。もう5年後には「文学部」という言葉は死語になるのでありますが、何か問題があるのでしょうか、異議なしと認めます。

   日本史は世界史の一部に収め、国語は英語学習の補助手段として扱うか。

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