Because the moon is very blue.回り道して歩こう。(7)

本日は10月の4日日曜日でありますが、これが旧暦だと8月22日でありまして、癸丑(みずのとうし)に当たるようですが、月の出はなんと22時27分とありまして、月の入りは明日の正午過ぎ、12時39分の予定なのであります。よって、明日の早朝がもし晴れていたら、南西の空に半月が間抜けに残っているというような状況なのであります。これを昔は「有明の月」と言ったようでありまして、念のため読み方を記すなら「ありあけのつき」であります。月の出が遅いのでありまして、寝る頃になってようやく空に昇るという有様であります。よって、「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」という歌になるわけであります。今月葉月(はずき)八月だって今夜は寒いのでありますから、来月長月(ながつき)九月の有明の月の出るのを待つのはつらいことでしょう。「待ち出で」と言うのは、現代語に「待ち出る」という表現がありませんので、「待ち出す」という意味ではないかと考えれば、別に月が出ると言っているんじゃなくて、来るよと言うから待ち始めたという意味のはずです。だから、「長月の有明の月」は、男が来る画像時間帯の意味でもありますが、もう一つ恋愛が下り坂になった愛情の覚め加減の男の比喩でありましょう。世間の注釈書なるものを見ても、そんな風には解説してありませんけれども、腐れ縁になった浮気性の男がたまに来るというから、だまされて待ち始めたという意味ではないかと思うのです。もちろん、歌の中の現在は、夕暮れに来るよと使者が来てから、有明の月が昇るまでのどこかの時点であります。

ツワブキの花がほころび始めました。

ちなみに、世の中の注釈書の中には、有明の月がよく分からないで、朝になって有明の月が空に出た、と訳すようなすごいものがありまして、学者さんなんてものが当てにならないことがよくよく分かります。「有明の月」を明け方に昇ると思っているわけで、空なんか眺めないで、文字ばかり眺めているとどうなるかと言うことがよく分かります。学生の気分で本を読んだり教科書を読んだりすると、そこには何かちゃんとした体系があり精密な理論があり間違いなど一つもないと思いがちでありますけれども、教科書は誤謬だらけ、辞書は矛盾だらけ、本はあらかた二番煎じ三番煎じであります。本同士を突き合わせるとすぐに分かるわけで、そうでなければ教科書検定を盛んにしているわけがないのであります。間違いを平気で記述するようだから検定でチェックしているわけで、それでもチェック漏れして指摘されたりするものなのであります。それに、我々が他人の意志や気持ちや真意がわかるわけではないように、和歌や俳句の作者の狙いが分かるわけはなく、作者自身も自分の作った作品の意味がよく分からないことだってあるのであります。だとするとさっきの有明の月の歌だって、本当の意味なんかどこにもないということにもなりかねないのであります。そう言えば、松尾芭蕉は弟子の俳句を耳にして、弟子とは違う解釈を持ち出して、作者である弟子を感心させたことがあったような気がするのであります。

  ブログの内容だって、書いている本人にも意味が分からない時があります。

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