Less is more.過猶不及。(7)

寒い日に逆戻りであります。朝の気温は10度くらいありましたが、正午過ぎに5度を切りまして、そうなると極寒と言うことであります。ただ、夕方になっても零下にはなりませんでしたので、ここ二日ばかりをなかったことにすれば、今まで通りと言うことであります。大昔、東京に出てきた頃は暖冬だったようでありまして、東京はこんなに暖かいのかと思い込んだのが懐かしく思い起こされます。寒い冬もあれば、暖かい冬もあるわけで、たまたま初体験の東京の冬が暖かかっただけのことなのです。小学校1年生だった時の春の暖かさというのも、今考えるとその時たまたまの気象現象だったようであります。菜の花が咲き乱れ、レンゲの花が至る所に咲きまして、モンシロチョウが飛び交い、田植えの時期に至らない用水路は、ちょろちょろと流れ、まさしく春の小川でありました。学校で習った通りの春の小川でありまして、学校帰りに友達を誘って家まで連れて来て、みんなでおままごとをした事なんかが思い出されるのであります。四月があんなに暖かかったのは、実は珍しかったのであります。まだ高度経済成長の影響が田舎画像に及んでいない頃でありまして、牧歌的な風景はその年で終わりであります。翌年くらいから、国道は舗装が施され、山林には別荘地を切り売りしている証として、購入者の名前を入れた立札が立ち並び、高速道路建設のために山肌が切り崩されたりしました。有線放送付きの電話が導入され、やがて計算機を売りつける押し売りが押しかけまして、田舎も騒々しくなったのであります。

昨日のオオキバナカタバミ。寒いとこうは咲きません。

ひょっとすると、新幹線や高速道路に引っかかることを期待して、なんでもない山林を分譲したのかもしれません。実際に別荘地になったところもあるんですが、まったくそう言う開発の計画が動いたことのない土地ばかりであります。大規模な観光牧場計画がありまして、先行して山の上に四車線の弾丸道路ができまして、それに引っかかった同級生の家などが立ち退きをして山を降りてきたりしたものです。戦後に開拓に入って建てた家は貧弱でありましたが、立ち退いたら立派な家を作った人が多かったので、それなりに立ち退き料が支払われたのでありましょう。だとすれば、観光牧場の計画はけっしていい加減なものではなかったはずですが、県知事への贈賄が発覚しまして、たぶん知事は辞職、観光牧場の計画は頓挫したのであります。よって、高規格の道路だけが10キロくらい残りまして、子どものころに自転車で走ってみたこともありましたが、ちっとも面白くはなかったのであります。突き当たった先に物見台を設置してあって、一度だけ誰かに頼んで車を寄せてもらい登ってみたことがありました。広大な草原が広がり、胸がすくほど雄大でありましたけれども、土地を売らないという家が一軒あって、その家の周辺だけ四車線の道路が切れておりました。観光開発と言うものも、これを軌道に乗せるのはなかなか大変なんだろうな、と思うのであります。

   いくつか大学のセミナーハウスがあったような記憶があります。

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