Where is the happy blue bird? 幸福探し。(4)

テレビで流れた『ウルトラマン』は、やっぱり画期的な特撮ヒーローものであります。それに匹敵するものが今あるかというと、ありそうでなさそうでありまして、一時代を象徴する作品であります。記憶を辿ってみたら、あの番組は午後の7時から放映していたんですが、我が家の庭で自転車の特訓をしていた記憶がありまして、その時の空はまだ明るかったのであります。調べてみると、『ウルトラマン』は1966年の7月から放送開始でありますから、なるほどあの記憶は新番組を見る前後の記憶でありまして、意味があったのであります。さらに調べてみると、『ウルトラマン』の漫画は、「少年マガジン」で楳図かずおさんが連載を開始し、それと並行するように「ぼくら」で一峰大二さんが連載しておりまして、テレビと雑誌の両方から味わったわけで、ある時期頭の中が『ウルトラマン』で満たされていたの画像であります。そして、それとくっついているのが、和泉雅子さんと山内賢さんがデュエットした『二人の銀座』でありまして、特にフジ子隊員が井手隊員を引き連れて買い物をするシーンが『ウルトラマン』に出て来るんですが、そのシーンとあの歌謡曲が合体しております。

フクジュソウ。

『ウルトラマン』は翌年の1967年の春まで放映されていたようですが、今なら9カ月というのはあっという間ですが、当時はもう長い長い果てることのない時間でありまして、たぶん10年分くらいの感覚であります。その1967年の真夏の記憶が残っておりまして、田舎の少年時代の家が浮かぶんですが、開け放たれて、家の中から周囲の田んぼや畑が見通せる状態であります。あの頃までは家の中に何もないわけで、おそらく日本全体がそんな感じだったはずなのであります。昭和42年ですから、テレビが茶の間に、台所に冷蔵庫がやって来て、外に洗濯機が設置された頃であります。この後急激に家の中に物があふれだすのであります。真夏の家の記憶なんですが、このがらんどうの家の真中に兄弟姉妹が額を寄せ合って注目しているのが、テープレコーダーでありまして、高校受験を控えた姉が英語の勉強に必要だなどと言って手に入れたものであります。テープを巻くのが子供には一大事でありまして、うっかりすると肝心なところでテープが切れたりするのであります。その後10年先にはラジカセが普及しますから、それまではどこへ行ってもテープレコーダーが活躍していました。四谷にあったエンデルレ書房のドイツ語教室で1980年くらいに見かけましたので、10年くらいは使われたのでしょう。さて、姉が親にねだって買ったテープレコーダーで最初に録音したのが、『真赤な太陽』であります。英語の勉強なんて嘘だったのであります。
 
   私はあのテープレコーダーをほとんどおもちゃにしていたような気がします。

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