Quick and meat quick at work.それも芸の内。(3)

まもなく、天皇の代替わりでありまして、元号がそれに伴って変わるのであります。昭和から平成に変更になった時を思い出してみると、若い日の自分は改元を特に特別な思いで眺めるという心境ではなくて、自分の身の振り方で精いっぱいだったのであります。そう考えると、平成の時代の紆余曲折、試行錯誤の始まりでありまして、世の中はバブルが崩壊して停滞するわけで、停滞のお蔭で自分の支離滅裂な人生行路も目立たなくなったような気がいたします。

   改元や 灯台躑躅(どうだんつつじ)の 清らかさ

   改元や 例年通りの 車輪梅(しゃりんばい)

   改元や めでたく和む 春の月

   改元や 我関せずと 猫の恋

   改元や 菜の花畑に 蝶の舞
   
戯れに作って見ましたが、俳句というものは、実は発句というものでありまして、五七五のあとに誰かが七七を添えて完成するのであります。これを連歌俳諧と言ったりしますが、昔からあって中世に盛んになり、江戸時代には定番の宴会芸だったわけです。するとどんな感じになるのかということでありましょう。

   改元や灯台躑躅の清らかさ  ほのぼの咲ける春の曙

   改元や例年通りの車輪梅  (ほのぼの咲ける春の曙)

  (改元や例年通りの車輪梅)  風静まりてそっと暮れ行く

   改元やめでたく和む春の月 (風静まりてそっと暮れ行く)

  (改元やめでたく和む春の月) 行く先を問う野暮は控えむ

   改元や我関せずと猫の恋  (行く先を問う野暮は控えむ)

  (改元や我関せずと猫の恋)  やすらけき世のためしなるらむ

   改元や菜の花畑に蝶の舞  (やすらけき世のためしなるらむ)

「令和」を訳せば「めでたく和む」ということでありまして、「令」は「めでたい」、「和」は「和む」すなわち「なごむ」でありましょう。あまり毒を含まないで連鎖させることができたのは、たまたまでありまして、それはそれでめでたいのであります。でも、こうやって一人でやると何だか変でありますが、集団だと、次は私だ私だと出し合いまして、宗匠が一番良さそうなのを選んでくれたりするわけです。宗匠というのは、たとえば松尾芭蕉のような人でありまして、たしか、松尾芭蕉はこれと言った俳論をしたためたことはないのでありますが、いろんな弟子たちの証言をかき集めると、連歌俳諧の席での指導は上手だったようであります。宗匠が最初に発表する発句に従って、参列者は一生懸命、句をひねり出して頑張るわけで、そのライブ感が魅力だったのであります。宗匠は添削する権利があって、どんどん句を変えますが、それでも添削後の句は、それぞれの作者のものだったはずであります。師匠に添削されて一人前であります。直されて怒っちゃ駄目なんです。たぶん。

   古い俳句をまことしやかに引用しても、褒められない。

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