We need moxibustion.  必ず灸すべし。(9)

画像曇っております。天気の報告が意味を成すのは、天気が変わりやすいものだからでありまして、一年中晴れているとか、雨期と乾期がはっきりしている地域では、天気の話題は意味を成さないのであります。つまり、極めて日本的な反応でありまして、晴れているか曇っているかということが、生活の技巧に直結しておりまして、さらに天気の話題が相手の心理状態を探る手がかりになるから、我々は天気の話題を止めないのであります。

どうやら、ギボウシの芽が出たようです。

我が家のギボウシは、葉っぱが大きく、茎もグンと伸びますが、どうもこの植物は風に弱くて、せっかく咲いたなあと思いましても、その清楚な姿勢を維持できないのであります。ツツジやサツキの間にありまして、有るのか無いのか分からないまましおれますから、家族はその存在すら知らないのではないかと思います。これまた、♪私だけのもの~、なのでありますね。「♪私だけのもの~」というのは最近聞いている曲の一節なんでありますが、まあその話題はまたの機会に持ち越しまして、天気の話題に戻りますと、三月というのは案外火事の多い季節だったはずなのです。要するに乾燥する頃でありまして、それなのに今年は雨が多いような気がするのでありますがいかがでしょうか。

   最近インターネットをしていてありがたいのは、天気予報とNBA情報と本の購入であります。

ラジオが聞けるようになったのがうれしいのでありまして、去年の今頃はNHKのラジオが聞けたのにはびっくりしたわけで、何をけちけちしたのか一度中止しましたが、多くの人が声を寄せたのでしょう、今では基本的に毎日聞けるようになっております。民放ラジオも視聴可能でありますが、時々音声が切れる、あるいは音声をわざと切っているのは腑に落ちないことでありまして、しっかりしろよと言いたくなるのであります。去年の今頃、震災情報を聞いていて感動したというか、もらい泣きしたのは、津波被害のあとで母乳のでなくなった若いお母さんが、粉ミルクを求めてお店に並んでいるという投書がありまして、読んでいたベテランの男性アナウンサーが嗚咽をこらえるためでしょう、マイクを一時切ったんですね。人間的でありまして、しかし再び発声したときは冷静でしたから、本当に偉いと思いました。母乳が出なければ、粉ミルクは生きるためのすべて、命綱でありますから、その状況は分かる人には痛いほど分かるのであります。赤ん坊の時、母の母乳が出なくて粉ミルクで育てられた私にも、そのことの重大さは分かるのであります。

   1円の本やCDを見付けると、内容を吟味して購入しておりますが、いいものであります。

画像おそらく、送料はしっかり取られますので、1円が1円で手に入るわけではありません。むしろ、やや割高な送料が掛かるような気がするのでありますが、根っからのケチでありますから、送料の分を値段だと思うようにして、その上で吟味して購入するのであります。そこに掘り出し物が多いような気がしておりまして、届いてみると新品でありまして、きちんと管理されたものであるような印象であります。

庭の水仙につぼみが出来たようであります。

業者の方は大量の商品を扱っていることでしょうから、それほど思い入れをしているわけでもないのでしょうが、1円という値付けをして販売のラインナップに残しているということに、微妙な意味が感じられるわけです。どうやら、流通の関係の中で割を食ってしまった商品というのがありまして、それらが1円という価格で買われるのを待っているような塩梅ではないでしょうか。新商品として全国に流通させるには、末端の店舗にある程度まとまった数量が必要でありまして、制作側が強気であるとか、話題になったとか、テレビで取り上げられたとか、他の商品とタイアップしたとか、そう言う持ち味があって、はじめて全国に配給されるのでありましょう。いいものではあっても、最初から少量生産されたものは、どこかにストックされて出番を待っているのかも知れません。まあ、こんなことを書いたときには、もう状況がいつ変わってもおかしくないときであります。

   さて、タイトルの事をまったく忘れておりました。忘れていていいと思っていたのであります。

兼好法師の随筆『徒然草』の一節でありまして、岩波文庫だと258ページに出ているんですが、第148段というところに、お灸の話が出て来るのであります。出て来ると言ったって、たった一行でありまして、何の意味があるのかというところであります。安良岡康作さんという研究者が、角川書店刊の『徒然草全注釈』の解説の中で、「この段になると、文学の領域からは離れ過ぎて、一種の生活知識の記録となってしまっている」と嘆いているんですが、ほんとにまあ、何のために書いてみたのか謎でありますね。『徒然草』の対象読者を誰にするかというのについては、議論がありまして、けっこう高貴な家柄のお坊ちゃまという話もあるんですが、そう言う説を唱える方は、この段なんかは無視しないと論が成立しないことでありましょう。

   「四十以後の人、身に灸を加へて、三里を焼かざれば、上気の事あり。必ず灸すべし」(第148段全文)

二つの文で出来ておりまして、タイトルには第二文を採用したわけですが、第一文を参考にすると、この第二文というのは、「四十以後の人、必ず三里に灸すべし」という事のようであります。三里に灸をするというのは、有名な松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭にも出てきますから、誰しも聞いたことがありますが、そんなことが兼好法師の『徒然草』に出て来るとは普通は思いません。予想していないことであります。こちらの成立は1330年くらいと言うことですから、『奥の細道』の刊行が、元禄15年(1702)ということですので、400年くらい灸を据える文化に変化がなかったと言うことでありまして、そう言えば今も三里のあたりを指圧するという話はありますね。お灸を据えてもらいに行ったことがありませんから、どんな感じか分かりませんが、お灸をするときに忘れずに三里にもしてもらう必要があるのでありましょう。しかし、この第148段を見たら、読者は老人を想定していたように読めますよね。

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