Dinner is ready !  来ぬ人を 待つ塩鮭の 夕餉かな(粗忽)(7)

画像以前に謎の植物として紹介いたしまして、その時は幅広の葉っぱの先に茎が伸びていまして、茎の先端が白く綿棒のような、はっきり言ってしまえば、何か病気にでもかかったもののようでありまして、ブドウの房の葡萄の実をそぎ落としたかのような状態なのであります。それが、一転して黒と言いますか、濃い紫色の実を付けているように見えましたので、検索して見ると見付かりました。「数珠のような実を付ける植物」と入力したのがよかったようです。

植物の名前は、ヤブミョウガ(藪茗荷)であります。

ウィキペディアを見ますと、ツユクサ科の植物でありまして、別にミョウガとは別の植物ですが、おそらく葉っぱの類似から名付けられているようです。ミョウガなら、子供の頃にも家の周りにありましたので、よく存じております。ミョウガの方はショウガの仲間なのだそうで、そう言われても、似ていると思ったことはありません。ともかく、ヤブミョウガというのは、東アジアに分布しているそうですが、日本では関東以西のものですから、なるほど私が見ていない可能性は高いわけでありまして、去年は存在することすら気が付きませんでした。サツキとドウダンツツジと手向山に囲まれまして、単なる雑草のように生えていたものであります。東京なら、皇居には群生しているらしくて写真がありましたし、神代植物公園にも生えているようです。

    モリアオガエルについての情報がないけれども、川内村にはしばらく入れないのだろうか。

画像モリアオガエルについて特別な興味関心を持っているわけではないのですが、福島第一原発の事故によって立ち入りが帰省された範囲で、私が残念に思うのは、第一に夜ノ森公園の桜であります。何度も見たというわけではありませんが、ご存じの方は残念がることでしょう。次が双葉バラ園でありまして、これはいずれそのうち見に行こうと思っていたものであります。そして、双葉郡川内村のモリアオガエルでありまして、阿武隈山地の中央にある小野町から、鬼ヶ城山の北麓を通って、川内村経由で浜通を抜けるルートを使いますと、モリアオガエル繁殖地の傍らを通過いたします。

汚染地図を見ると、地形的にとても不利な谷間。

残念なことはたくさんあるのであります。危険なものを過疎地に押しつけたわけですから、原子力発電を推進した人たちからすれば、やっぱりあそこでよかったと胸をなで下ろしているわけです。政治的な配置ですから、いくら福島県知事が県民の痛みを知れといったところで、ある意味馬耳東風、春風のそよぎのような、夏の夕暮れの河原の風のようなものでありまして、故郷を喪失した人はがっかりでありましょう。安全を強調する陰に、どっぷりと危険が底なし沼のように待ち構えていることは周知の事実だったはずで、いろんな手抜かり、初期投資を回収した後の濡れ手に泡だった状況は疑いようもありません。アメリカのハンチントン教授という方が指摘した通り、世界を文化に従って分類した時に、日本だけが独自のカテゴリーを形成するわけで、そのために電力会社のあり方も得手勝手でありまして、やりたい放題、国内では事故が起きない間は我が世の春であったわけですね。もう今は違いますから、世間は厳しく、原発事故の補償体制が不備であればどこまでも叩かれる運命にあるわけです。写真は、どうしたことか、また咲き出してしまったシャリンバイ(車輪梅)であります。影響の有無は不明です。赤紫に見えるのは、サルスベリの落花がしぼんだものであります。もう、実が出来ているのに……。

    風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける(『百人一首』第98番・従二位家隆)

二句目の所に掛詞があると言われても、ピンと来ないわけです。樹木の楢の間を風がそよいでいるんですが、みそぎをしている川が、「ならの小川」という川でありまして、これが賀茂神社のそばの御手洗川の別名のようなのであります。納得は行かないのですが、根拠となる歌を見ますと、なるほどとおもうわけで、これは本歌取りのお手本のような歌なのであります。まず、『新古今集』恋五・1376に「みそぎするならの小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと」という歌がありまして、家隆の歌のなかのみそぎする人というのが、恋の成就を願って「ならの小川」で水浴びしているという光景であることが明らかになります。次に、『後拾遺集』夏・231に「夏山の楢の葉そよぐ夕暮れは今年も秋の心地こそすれ」という平凡な夏の歌がありまして、なるほど、こちらの末句が隠し味になっていまして、賀茂神社の夏の夕暮れは「秋の心地こそすれ」みそぎをするからには夏なんだね、というふくらみが生じるんですね。

    天皇に入内する女御のための屏風歌であったそうですが、だからこれも題詠であります。

詠まれた場を考えると、絵が先か歌が先かは分かりませんが、題を与えられたはずで、家隆は呼んだ後で定家に相談したそうです。だから、実感というわけではありませんが、洗練された見事な夏の歌であります。「そよぐ」という触覚があり、「みそぎ」を遠望する視覚があり、みそぎする人物の祈願の内容が恋の成就であるという、想像力がありまして、これに風にそよぐ楢の葉擦れの音、ならの小川のせせらぎの音、みそぎの水音、などの聴覚があり、夕暮れによってモノトーンにな沈んでゆく光景には、昼間の京都市中の暑さと、賀茂神社境内の涼感が対比されて、なかなかいい歌です。すっきりまとまって、天皇や女御が屏風を見ても、すぐに理解できますし、慶事にふさわしい恥ずかしくない歌であります。

    人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は(『百人一首』第99番・後鳥羽院)

後鳥羽院の歌も、源実朝の歌と同じでありまして、何かこう正面から味わったり口ずさんだりしにくいものがあるのであります。やっぱり痛ましい感じがぬぐえないのでありまして、だから後鳥羽院の歌の善し悪しを考えるという気分にならないわけです。近代日本の日本史、あるいは江戸時代以前の古代・中世史の扱いのぶれみたいな物が、学校の教科書にまとわりついていて、何だか靄が掛かるのであります。おそらく、教わった私たちは戦後世代も相当進んであっけらかんとしていたんですが、教えていた方は、自分の両親より年配でしたから、お国のために死を覚悟していた世代で、我々を教えにくかったことでありましょう。後鳥羽院に関することで私が印象的なのは、後鳥羽天皇宸翰御手印置文というものであります。 「宸翰」というのは、天皇の御直筆というような意味のはずですが、ウィキペディアによると、「置文」のほうは遺言とほぼ同意ということなのであります。暦仁2年(1239)、隠岐に流されていた後鳥羽院が崩御を覚悟して、なくなる13日前に書いた遺言状なのでありますが、私はこれを京都国立博物館の展示で見たことがございます。文面には後鳥羽院の手形が最後に押してあるんですけれども、ちょっとなまなましいのであります。見たところは鮮血のようでありまして、なにを手に塗りつけたのか、気になるほどの鮮明さなのであります。いまは、水無瀬神宮にあるようですが、手形の指のしなやかさ、大きさが何かを物語ってはいないでしょうか。

    あぢきなく 我も無駄飯 物食ふ身(粗忽)
     世を思ふ身の 惜しくもあるかな(粗忽)      

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック