Seventeen-syllable verse . 五月雨を あつめて早し 最上川(芭蕉)(5)

画像もう萩が咲いているのであります。今年初めて見ましたが、もうそんな季節なのでありましょうか。今日は雨が降るという天気予報でしたから、傘を持って出かけたわけですが、結局直接雨に降られることはなく、電車の中で窓の外が見えなくなるくらいの雨脚を眺めただけで済みました。池袋のパルコの一階が水没したっていうんですが、ほんとでしょうか。

池袋が街じゃなかったときの話を聞いたことが。

東京のターミナル駅と言いますと、東京駅・上野駅が知られておりまして、これは地方へ行く線路の始発駅であるわけです。それに対して、池袋駅・新宿駅・渋谷駅というのは、山手線の西側にある駅でありまして、ここから東京の西に延びる私鉄線の始発駅として発展したわけです。今は地下鉄の相互乗り入れというのがありますから、始発駅というのは微妙になりつつありますが、この三つの駅はデパートを従えまして大変な賑わいを見せ、その存在感は郊外に出来ている新たなターミナル駅にまだまだ負けないのであります。三つの中では、池袋駅の垢抜けない感じは相変わらずでありまして、ゲリラ豪雨には弱いかも知れません。

   結婚式の朝に頭髪を整えてくれたのは雑司ヶ谷の床屋さんでありまして、その方は90才でありました。

画像千葉のお生まれだったそうで、雑司ヶ谷に参りまして開店したんだそうです。その頃は、雑司ヶ谷というのはカフェーがあって、女給さんが客引きするような繁華な通りだったんだそうです。これに対抗する繁華街は大塚でありまして、そのころは池袋なんて街じゃなかったよ、と言うわけなのです。そう言いながら、刈り上げた頭を洗うのは椅子の前の洗面台ではなくて、店の端っこのタイルの長しなのであります。

立ち上がって、自分で歩いて出向きます。

タイルも今時の10㎝角のピカピカのタイルなんかじゃあありません。緑色の濃淡のある、ちょっとゆがみのある大小の円形のタイルが散りばめられたやつでありまして、古い木造アパートかなんかに付いている共同の長しとおなじものです。髪をセットするのは、焼きごてでありまして、ストーブの上で温めた、先っぽがハート型のようなものなのでありまして、大きさは孫の手くらいのものでありますね。これで、写真にきれいに収まっております。実はその写真を撮影したのは、東大法学部の学生アルバイトなのでありまして、優秀な方たちですからピントはばっちり、おとぎ話の新婚さんのような写り具合であります。式場のアルバイトもいろいろですね。

     朝顔の 今咲きぬべき 花の上に おぼつかなくも 残る月かな(樋口夏子)

画像明治時代の小説家として名高い、樋口一葉の和歌であります。たぶん、朝顔と残月の取り合わせが新しい趣向でありまして、これを与謝野晶子さんが一葉の代表歌として選んだのだろうと思います。樋口一葉の歌なんて見たのが初めてかも知れませんので、どこでどうやって調べると出典が出て来るのかも知らないのですが、ああ面白いと思うのであります。

時刻は夜明け、空には有明の月、ということは……。

つまり、晩夏または初秋の朝の景色でありまして、実は大変に色っぽい場面なのであります。朝顔を女性に見立てますと「もう咲きそうな花」でありますから、若くて朝露に濡れておりまして、それも今日の分が咲くというのではなくして、いよいよ朝顔が咲き始めそうという感じなのであります。朝顔は実は秋の植物のはずですから、旧暦の七月の初めくらいに咲くのであります。月というのは、毎晩空にかかりますから、男の比喩になりまして、せっせと通ってくる男、すなわち恋人であります。残る月というのは、有明月でありまして、夜中に昇るんですけれども、明け方に沈まず空に残るような月と言うことです。朝顔と月を男女に見立てまして、情景であれば、「おぼつかなくも」という言葉は、「くっきりしていないが」とか「かすんでいるが」というようなことですけれども、男女の関係に引きつければ、深い仲になった今は月も去りがたくて、「おぼつかなくも」女のそばにぐずぐずしているんですね。「心配だ」とか、「気がかりだ」ということですが、今夜まで待ちきれないというような後ろ髪引かれる気分であります。   

     秋雨を 集めて涼し 隅田川(粗忽)
      咲く朝顔に 迷ふ残月(粗忽)   

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