The clouds on a hill.  戸外での小用を禁ず。(7)

画像アジサイの現在の様子なんでありますが、何がいけないのかあまり花が咲かないわけでありまして、花の時期が終わってすぐに剪定しまして、来年に期するものがあるのです。それで駄目なら、植え替えるとか根っこに肥料をあげるとか、抜本的な対策を施す必要があるでしょう。アジサイも、たっぷりと花が咲いてこそ鑑賞できるものでありまして、今年のような状態では、もはや植えて置くだけ無駄なのであります。

葉っぱがなかなか枯れません。

この葉っぱが、青々としていると大葉に似ていまして、いろいろ間違いを起こすものなのであります。もちろん、大葉というのは青紫蘇の葉でありまして、刺身のツマとして付いてきたりしまして、癖はありますけれども、大人なら香ばしく感じるわけで、食べてさっぱりするものなのであります。飾り付けにも使われますが、これをアジサイの葉っぱで代用すると、当然大葉だと思って食べてしまう人が出てきまして、毎年問題が起きるのであります。枯れている今は間違いようもありませんが、庭の青紫蘇は完全に枯れてしまいましたが、アジサイがなかなか枯れないのでありますして、さて、去年はどうだったのか、記憶がまったくありません。

    『坂の上の雲』を読むと、児玉源太郎さんが戸外で小用を足すところが印象的であります。

画像立ちションというのは、都会の通勤時間帯などには先ず見かけませんから、何か野蛮なことのようではありますが、日露戦争の頃であれば別にそれほど野蛮ではないはずであります。日露戦争は明治37年(1904)から翌年明治38年(1905)にかけての戦争ですが、その頃の男子の立ちションはおそらく東京ほどの都会でもしばしば見られたはずであります。大正14年(1925)に書かれた岸田國士さんの『ぶらんこ』という戯曲でも、ごく普通のこととして描かれております。

犬の小用がよくて人が駄目なのはなぜか。

犬というのは片足をあげて用を足しますけれども、ご近所の方の犬を連れた朝の散歩でもごく普通の光景でありますが、よく考えると不思議なことであります。犬の縄張り意識に関係するという話を昔は盛んに聞きましたけれども、さてどうなのか、縄張りと関係のない時だってあるような気がいたします。子供時代に飼っていた犬は、ほとんど放し飼いでありましたから、それを連れて散歩なんてことはないので、用を足している姿そのものを見ていないような気がするのであります。猫の場合は、しつければ決められた場所でお座りして用を足しますから、片足をあげることは無いような気がいたしますが、この何十年猫を飼っていないので、本当はどうだったか自信がありません。写真は、ツワブキの現在の様子。

    近ごろは猫のための匂い消しの砂のようなものが売られていたと思いますが、便利でしょうね。

画像真冬だというのにまだ咲いているツツジでありまして、咲いてから長いような気がいたします。ツツジのてっぺんに数輪咲いているだけなので、写そうとすると御覧のように下から、無理をしてクローズアップした写真になってしまいます。日中、曇ったままでありまして、気温が上昇せずに寒い一日でしたが、明日は気温が上昇し、明後日からぐっと冷え込むという予報であります。

新聞を見ますと忠臣蔵の討ち入りの日だって。

あれは江戸時代のことですから、旧暦のことでありまして、実は一ヶ月も先のことなのであります。旧暦というのはしちめんどくさいことがありまして、三年に一遍閏月というのが儲けられていて、そう単純に考えることはできませんけれども、やっぱり忠臣蔵のことを言うなら、旧暦の師走の十四日に言ってくれないと調子が狂いますね。七夕なんかもそうなんですが、現在の七月七日に七夕のニュースがあるとものすごい違和感があるんですが、どうして誰も是正しないのか、その理由を考えて見る必要があるでしょう。私の知らない約束事があるかも知れず、あまりうかつに間違っていると叫ぶのにはためらいがあります。今度の旧暦の12月14日は、来年の正月の七日であります。もちろんお月様は満月に近い月でありまして、おのおの方油断召されるな。

      雪でも降らなければ、きんきんに冷えた空気の中で煌々と照る月を見るわけです。

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