As if there were no tomorrow. 明日をなき日と思わせて。(5)

朝起きました時に、ちょっと寒いかなあと思いまして、何となく石油ストーブを焚きましたが、程なく灯油切れを起こしまして、どの石油ストーブも消えていったのであります。今朝の最低気温は、午前8時の6・7度でありまして、これは3月30日の30年平均気温である4・8度よりもわずかに高いわけでありまして、耐え難いほどの寒さではないのであります。しかしながら、本日は空は厚い雲に覆われまして昼間の気温上昇はほとんどないという有様でありまして、気温は微増しながら午後4時に8・2度に到達いたしましたが、なんと8時間をかけまして1・5度だけ上昇したというような有様であります。1時間あたり0・2度しか上がらないわけでありますからそれだけでも異常な天気ですが、もし8・2度が本日の昼間の最高気温だとして、それはこの地の30年平均の最も寒い期間の昼間の最高気温を下回る温度なのであります。画像七面倒臭いことを申し上げておりますが、要するに今日の昼間は真冬の寒さでありまして、近所の桜は冷蔵庫で保存されているようなものでありまして、散り始めてはおりますが花吹雪は明日以降にお預けというようなことなのであります。

幹のあたりにある桜。

どんよりとした天気でありまして、写真写りは最低でありますので、ろくな写真がありませんから、こんな所でご容赦願いたいと思う次第です。この何年か見るのを楽しみにしていた桜の木はもう影も形も無いのでありまして、やむなく散歩の足を伸ばして桜並木になっている所まで出かけておりますけれども、確かに100本くらいの桜が狭いエリアに見事に植えてありまして、それだけを見るなら大変見事な桜並木なんでありますけれども、周辺環境は今ひとつ整備されていないのでありまして、それは偏に国土整備の現実を反映しているようであります。たぶん、貴重な自然を守るためにいろんなアイデアが出ている地域のようでありますが、そこに道路をつくり箱物の施設を作りまして、そのしわ寄せのような資材置き場や用途未定の空き地が周辺に散在しまして、桜を見てはああきれいと感嘆するんですが、その視野の端々に中途半端なコンクリートやゴムや木材が目に入るのであります。湿地帯でありまして、どうも排水路も充分用意していないようでありまして、なんだかアンバランスな光景なのであります。

   土地利用が変遷している途上の光景でありましょうから、いたしかたありません。

河川が氾濫しまして、家が流され土地が洪水に見舞われ、一夜が明ければ別世界が発生いたします。もちろん大津波の後も同様でありまして、さらには大規模な火事の跡も同じでありましょう。寺田寅彦さんは関東大震災の後の東京を歩きまして、色んな物を見聞して歩いたようであります。関東大震災が発生しましたのは、大正12年(1923)の9月1日画像でありまして、死者の数が10万人を越えているのであります。この内火災による死者の数が8割を越えておりまして、昔からよく耳にすることでありますが地震発生時がちょうどお昼時であったことが致命的だったのでありましょう。それから22年後、すなわち昭和20年3月10日にアメリカ軍による東京大空襲がありまして、下町を中心に東京の市街地は焼け野原となりまして、この時の死者の数はやはり10万人を越えるのではないかと推定されているようであります。

なんとなく密度の高い桜の花弁。

考えて見ますと、関東大震災から今年は90年目でありまして、東京大空襲からも70年近い年月が流れておりまして、二度焼け野原になった所も今は家がぎっしりでありまして、マンションなんかも建ちまして、昔よりも人口が増えてしまった所もあるかも知れません。何が言いたいのかと言いますと、総武線だとか常磐線だとかを使って東京の下町付近を通過しましても、まったく焼け野原の状態だった東京を想像することは稀なのであります。東京は西へ西へと市街地が拡大しまして、かつては震災被害の大きくなかった所が立派な町になり、小さな駅舎はどこも駅ビルを備えまして、そちらの変遷も大変なものであります。よって、新しく道路が作られたり、地下鉄や電車の路線が出来た所の表向きの所はある程度整備されておりまして、そういう所を通過する分には、新しくて清潔そうで気分のいいものであります。しかしながら、東京の市街地が拡大して首都圏全体が都市化する一方で、整備された地区の周辺は相も変わらない混沌ぶりを示しているのであります。西から南西にかけては丘陵地帯の開発の凸凹ぶりが目立ちまして、地形の凸凹よりも新しいマンションなどと調和しない荒れ地が目立つわけです。西から北、あるいは北から東にかけての地域もまた、高台に相当する地域の充実ぶりに対して河川跡と思われる低地の放置ぶりが非常に目に付くのであります。そのあたりのバランスを取るようなことが出来ないのでありましょうか。見事な桜を見た目が、ちょっと気にするのであります。

   三好達治の詩「桃の花さく」を考えております。

新潮文庫の『三好達治詩集』を適当に開きまして、4行ばかりの詩を引用しまして、それについてあれこれ考え始めたのでありますけれども、なかなか面白いのであります。編者の河盛好蔵さんが巻末に解説を載せているのでありますが、その解説の文章の末尾の日付が昭和42年(1967)10月13日でありまして、三好達治の没後3年くらいであります。画像恐らくは三好達治の生涯の詩の中から初版などにない詩を補った時のものでありますから、改訂版のめどが付いた段階で書きしたためたものであります。面白いのは「三好達治君」と敬称を付けて解説しておりまして、三好達治の先輩後輩の詩人たちも多くは「君」付けで呼んでいたりしまして、なにかこう解説者と詩人の距離がめちゃめちゃ短いというか、親しいというか、ほとんど関係者なのねと分かるわけであります。

今年の桜は長持ちです。

「桃の花さく」が収められている『花筺』という詩集は、「はながたみ」と読むらしいのでありますが、この作品が出版されたのが昭和19年(1944)6月20日なんだそうでありまして、その頃まで三好達治は小田原に住んでいたそうであります。出版を果たした頃に福井県の三国へと住まいを移しまして、終戦はそこで迎えたのだそうであります。この詩人が戦争と無縁だったのかというと、河盛好蔵さんはちゃんとそうではないことを指摘しておりまして、たとえば中国との戦闘状態に入った昭和12年には三好達治が上海に1ヶ月くらい滞在して戦争を見てきたなどということを書いております。戦争に関する詩も書いているそうでありまして、その一部はこの詩集にも掲載したというようなことも出て来るのであります。にもかかわらず、三好達治が戦後に評価され、新潮文庫に詩集が入ったというのは、彼の詩が戦争を煽るようなものではなかったからだと言っていいのかどうかは、これからいろいろ読んでみないと分からないのであります。「桃の花さく」と言う詩を、改行抜き、句読点付きで示すと「桃の花さく裏庭に、あはれもふかく雪はふる。明日をなき日と思はせて、くらき空より雪はふる」というだけでありますが、さて、これは短歌になるんでありましょうか? 何か足りないような気がしてしまいます。

   桃の花咲く裏庭に雪は降る明日をなき日と惑ふ我かも(粗忽)
   咲く桃に明日をなき日と思はせて暗き空より白雪の降る(粗忽)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック