掌の小説(1) 地下の霊安室・上

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写真は八幡平アスピーテライン。
撮影者は”traveler”さん。
フォトライブラリーからダウンロード。 








 

 盛岡駅から出たバスは、松尾八幡平の駅を経由して、次第にのぼりになった。急坂をのぼる時には背もたれに押し付けられるようになりながら、乗客はそれぞれのおしゃべりに興じている。大倉靖男は、ミステリー同好会のメンバーと連れ立って、気ままな東北の旅を楽しみにやって来た。日本の景気が良かった1980年代の半ばのことであるから、海へ行こうと山へ行こうと、夏休みには学生の姿がどこにでも見られて、八幡平を目指すバスの中でも彼らの集団は特に珍しくもないものであった。

 ミステリー同好会はゆるい集団で、核を為すのは7、8人の海外のミステリー小説のファンであったが、その友人や知人、恋人なんかを含めて倍の数になっており、旅の途中でも後から加わる者がいたり、用事があって途中で東京方面に帰ってゆく者もいて、人数は不定であった。幹事を務める靖男の友人谷村圭吾が、うまく切り盛りをして宿の手配を卒なくこなしていたので、特に困ることはなかった。宿の方もキャンセルがあるのは困るだろうが、十数人の宿泊で一人くらい増えることには寛容であった。世の中は躁状態にあったころで、大学生は遊びほうけていても就職には困らず、世間はお気楽だが底抜けに明るい大学生の暮らしぶりを新しいライフスタイルとして許しており、それはマスコミの好意的な扱いの賜物であった。いろんな大学から飛び入り参加があり、靖男の知らないメンバーも何人かいたけれども、誰もが誰かの連れだろうと考えて、深く詮索はせず、道々会話を交わしながら宿に着くころにはお互いの愛称を覚えたりしていたのである。

「昨日の鍾乳洞って、見付かったばかりなんだって?」

谷村は少々興奮気味にそう話し掛けて来た。彼は福島の鍾乳洞の探検が気に入ったと見えて、ミステリーの舞台に使えそうだ、と盛んに言うのだった。

「一般のルートのほかに、抜け道が随分あるって言ってたね」

靖男の知らない声が後ろの方から声を掛けて来て、谷村の言葉に反応する。

「一度外に出てから、もう一度もぐりこんだら、トリックに使えるよね」

谷村は無邪気にタネを口にするが、それは言わない方がいいのじゃないかと靖男はおもったけれど、まあ、誰もが思い付く程度のことではある。自然が作った造形だから、鍾乳洞の中のルートは一つとは限らないが、整備されたルートでもうっかりすると道に迷いそうだったから、ミステリーのトリックにすることは可能だろう。

「あ、それいただき」

明るい声の主の方を靖男は振り返ったが、背もたれが高いので声の主の顔は見えない。赤を基調としたチェックのシャツが、座席の間の隙間から見えた。きっと谷村が連れて来たんだろうと思いつつ、靖男は谷村の方を見たが、もう谷村は別の座席の誰かと話し込んで返事の主の方は見ていない。

 昨日は福島、午前中は仙台、そして今夜は八幡平で一泊をして、明日は日本海へと向かう予定だが、ミステリー小説好きという枠組みにはあまりこだわらない集団で、そこが靖男には気分のいいところであった。「オタク」などというものがまだ若者に発生する前の、ゆるやかな趣味の集まりで済んでいた頃なのである。

「もうすぐ降りますよ」

バスが大きくカーブを曲がって山上の平坦なところに出たところで、幹事らしくきびきびと谷村が声を張り上げて、一行に注意を促した。バスの向かう先にポツンとバス停の標識が立っていて、その向こうは八幡平の台地が広がっていた。見たところでは、バス停の周囲には何もない。ミステリー同好会の集団が降りると、バスは閑散とはしたがまだ乗っている人は何人かいた。真夏ではあるが、山の上は気温が高くはなく、ハイキングしたら快適だろうというような感じがした。

「たぶんこっち」

という谷村の声で一行は笑い声をあげながら歩き出した。バスの言ったのとは別の方向に枝分かれした道があったが、それ以外には道がないのが分かったのである。

「何にもないね。大丈夫?」

と例の赤シャツが声を掛けたが、振り返りもしないで谷村は先頭を歩き出した。本当に今夜の宿があるんだろうか、靖男は緑の短い草に覆われた大地をぐるりと眺めまわしてみたのである。


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