The corn is not soft,but indurated.魚の目は硬い(5)

気にしているのは、松尾芭蕉『奥の細道』の第二番目の句「行く春や鳥啼魚の目は泪」と言う句でありまして、ここの「魚の目」は、単に魚類の目の部分を指すだけなのかどうかということであります。二句目と三句目にまたがっておりまして、従来の解釈は、鳥と魚の対句とみなしますので、そこに「魚の目」という皮膚の角質化による痛みを伴う疾病を読み取ることはまったくないのであります。一つ指摘をしておかないといけないのは、「魚の目は」の「は」であ画像りまして、この「は」は品詞で言うと助詞には違いないのでありますが、主格を表すわけではなくて、まあ私が習ったことで言うと、「提題」というようなものなのです。こういう時に例に引かれるのは、「ボクはウナギだ」というフレーズでありまして、「は」が主格だとすると、ウナギが自己紹介していることになりますが、提題ならボクはウナギを注文する算段だと分かるのであります。

冬に強剪定したドウダンツツジの新緑。

よって「は」というのは、係助詞に分類されまして、普通は強調表現と理解されるのです。主格を表す格助詞だと考えてしまうと、「魚の目は涙」というのは「魚の目が涙」とほぼ等しいということになるはずですが、これを係助詞と理解すると、例えば「魚の目に涙」という表現の、格助詞「に」を省略して、ここに係助詞「は」を当てているというふうになるだろうと思うのです。それにしても、水中にいる魚の場合、涙することが出来るのかと言うと、比喩としてはあり得ますが、実は無意味なわけで、そうなると専門家はここの典拠を求めて大変な努力を強いられてきたようでありますが、結果は典拠が皆無でありまして、ごく普通の漢文・漢詩にも残念なことに水中を泳ぐ魚が涙を流すという用例は見つからないみたいなのであります。尾形仂さんによる『おくのほそ道評釈』も、いろんな引用を挙げておりますが、ちゃんとある意味お手上げだと語っているわけです。 

  しかし、誰も「魚の目」ということを考えて見なかったんですか?

さて、例の『日本国語大辞典』(第二版)の用例でありますけれども、こんな具合でありまして、ちゃんと時代が分かるように明記されております。

  *雑俳・すがたなぞ(1703)「魚の目に夏も坊主の懐手」
  *和漢三才図会(1712)10「肬(いぼ)肬目 和名以乎女 俗云魚乃目」
  *雑俳・柳多留(1838-40)「魚の目のいひ分け和尚さて困り」


最初の例と言うのは、大阪で出版されたものらしいのでありまして、元禄十六年の刊行の『すがたなぞ』であります。仏教徒である坊主と言うのは殺生を禁じられておりますから、魚なんか食っちゃダメでありますけれども、手に魚の目が出来てしまいまして、要するに魚を丸ごと食っちゃった、魚の目を食したことがばれるので、暑いのに手元を懐に隠しているというような揶揄、からかい、嘲笑の句であります。最後の例は、有名な『柳多留』ですが、これはどちらかと言うと川柳を掲載したものであったと思うのですが、明和二年(1765)から刊行されて、終刊が天保十一年(1840)でありますから、その最終巻あたりに収録されたものでも、肉食をした和尚さんをからかう句が出ていたということで、基本的な諧謔の基本は最初の例と同じであります。真ん中の例は、寺島良安という大阪の医師が編纂した絵入りの百科事典でありますが、序文が正徳二年(1712)、跋文が正徳五年(1715)、全体が105巻81冊というとんでもないほど大きな辞典でありまして、30年かけた大作なのであります。だったら、1685年くらいに編纂を開始して執筆しているんですから、それは松尾芭蕉の晩年とだぶるんであります。松尾芭蕉の奥の細道の旅は元禄二年(1689)でありますが、実は作品『おくのほそ道』が完成したのは元禄七年(1694)と言われているのでありまして、死ぬ寸前にできたとされているわけです。刊行されたのは元禄十五年(1702)でありますから、『奥の細道』のほうがぐんぐん『すがたなぞ』や『和漢三才図会』の刊行年に近付きまして、タッチの差で『奥の細道』が初出例を守っている感じであります。同じ時代の作品と断じても誰も文句は言えない事でしょう。

  要するに、「魚の目」という言葉は元禄年間あたりに広く知られた言葉なのかも。

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