It is common among uncultured people.仲間内の言語。(9)

3月3日、お雛様であります。まあその何というか、お祝いでもらったお雛様が健在でありまして、今年も玄関に飾りましたが、さすがにお雛様を喜ぶ子供がいないのでありまして、大人になったと言えばめでたいものの、行事にはそれを素朴に喜ぶ子供が必要であります。しかしながら、人生の運命には逆らわないのがいいのでありまして、為すがまま、自然のままに人生を歩んでゆくのであります。お雛様を急いでしまわないとお嫁に行けない、というような俗信がありまして、これを考えてみると、雛人形を飾りっ放しにしておくと、子どもが壊したりするものでありまして、智恵のある人がどうするか考えたのでありましょう。何事も素早く準備して、鋭く撤収するのが一番であります。だらだ画像らしていてもいいことは何もなくて、できるだけ行事が終わったら仕舞ってしまうのが一番なのであります。もはや、桃の節句と言うのは、私のスケジュールの中だけに存在しているのでありましょう。家族は興味が失せたようです。

昔撮影の雛人形。

ろくに書くこともないので、何かネタはないかと『徒然草』を眺めて見ますと、やはりさすがに古典中の古典でありまして、いいことが書いてあるのであります。不思議でありますね。断捨離に通じるようなことがさらっと書いてあるわけで、こりゃあ、本気で読んで見なければいけないと感じますが、しかし、普通に全部を読むのは、対象が古典だけに相当無理でありましょう。お勉強として眺めると意味不明なんですが、こうしてたまに開いて共感するところを拾うと、結構面白いということなのでしょうか。

  『徒然草』第七十二段

 賤しげなるもの、
 居たるあたりに調度の多き。
 硯に筆の多き。
 持仏堂に仏の多き。
 前栽に石・草木の多き。
 家の内に子・孫の多き。
 人にあひて詞の多き。
 願文に作善多く書き載せたる。
 多くて見苦しからぬは、
 文車の文。
 塵塚の塵。

二行目の「硯」というのは、硯箱のことで、要するに文具を収納するケースであります。そこに筆が溢れかえるというのは、今で言えば鉛筆が一生分くらいあるという状況であります。どの家庭もそんなものであります。「文車」というのがあまりよくわからないものでありまして、室内で本を移動するときに使う物らしいのであります。最後の「塵塚」というのは、ゴミ捨て場のことでありまして、だとすると兼好法師はミニマリストでありましょう。

   だからどうなのよ、と言うことですが、しかし観察は鋭い。

   

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